2008年05月30日

詩『風盾』

眠りが訪れる頃
耳でなり出すそのメロディー
網ですくうように わずかも取りこぼすまいと
心にそのメロディーを焼き付けて

次の朝
コーヒーを飲んでいる頃
苦い顔をこらえながら
その歌のことを思い出す
コーヒーのミルクが回り出す

心は言葉を失い
テレビの音にかき消され
歌を紡ぎ出すのに
もどかしい思い

僕は白紙を取り出し
書き付ける 心の音を
またコーヒーを飲みながら
48時間苦闘して それでもまだ足りなくて
食事しているときも、眠っているときも
そのことが頭から離れない

そしていつか書き上がる五線譜
僕はステージへ走り出す
リハーサルもなしに
僕は歌う 仲間たちと

ステージの上最高潮で
意識が霞むくらい
そんなとき、心の中でこう思う

いつか時の流れの中で
その歌を忘れ去りそうになっても
空の向こうから再びやってくるそのメロディーが
僕のハートに熱く響くだろう

そして僕は回想する
幼い頃の空の青
机上の白紙も飛びつくし
全てが、木が、鉄が、空気が熱を持っている

そして僕は気づく
いつかその歌は僕の心の一部に
不可分な心の一部になる
忘れることなど出来なくて

誰かの声に振り向かず
誰かの噂に立ち止まらず
心氷に触れたときも
僕の心に熱を

僕は少年に戻る
あの雲は、前と変わらない
僕は少年に戻る
誰かの音が静寂に響いて

■(2008.2.22)

ちなみに私は中学の合唱コン以来ステージで歌ったりしたことなどありませんので……。



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2008年05月28日

AloneViewer1.2.0 Mac OS X Bundle Released

先日公開したAloneViewerのMac OS Xバンドル版です。

AloneViewer1.2.0 Mac OS X版(96KB)無料ダウンロード↓

一応Finderの表示に寄ればユニバーサルアプリだそうなのでそうファイル名をつけていますが、真偽のほどは確かではありません。バンドル化はMac OS X 10.4 Tiger(PPC)で行いました。

前試したときではXULRunner1.9preでは正常動作しなかったのですが、同じ1.9preでも最新版は更新が進んでいるらしく、最新版は正常動作したのでようやくバンドル化にこぎ着けました。バンドル化によってAloneViewerの起動時にターミナルを使う必要がなくなりました。CUI操作ができない人でも使うことが出来ます。

と言うわけで動作にはXULRunner1.9preの最新版(5.27現在)を入れてください。基本的に動作環境などは記事『AloneViewer Released』に寄ります。その記事では1.9preはダメだと書いていますが、今回はもちろん1.9preを使ってください。XULRunnerにはまだバグがあり使用上の注意も『AloneViewer Released』を参照してください。

起動しているときに一度アイコンがドックから消えますが、正常起動していればすぐまた現れますので心配しなくても大丈夫です。しかし、ずっと現れない場合は何か問題が起きて正常起動していない考えられます。

メニューは装備していないので使えません。アプリケーションメニューも使えません。終了させるにはウィンドウのクローズボタンを押してください。
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More is Different(4)

この記事は前記事の続きです。

――重層的に行うと言うことは表現方法として重要です。もともと人の感覚というのは重層的なものです。たとえば空腹感とは何か食べ物を食べたいという気持ちだけでなく、お腹がグーッと鳴ったり、(あくまで空腹で)痛かったり、重層的に感じて成り立っているものです。一般に一つの言葉で表される感覚が、個々の感覚を重層的にして成り立っていることはよくあります。重層的に表現することによって、作品に深みを与えることも出来ます。

三つ目にうつりましょう。三つ目は「質感としてデコードされる段階で鑑賞者によってその結果の質感が変わってくる」でした。

よく、同じものでも鑑賞する人によって芸術作品などへの評価が違いますが、これは質感の感じ方が違うからです。そのものが持つ良さを、強く感じる人はその作品にいい評価を付けますし、反対にあまり感じない人はたいした評価を付けません。よく感じる人でも、鑑賞したときの時期や環境によってもその強さなどの質感は変化します。これはまちまちです。

ちなみに、強く感じることがいいことばかりでもありません。人によっては苦痛を無駄に人よりも強く感じることもあります。たとえば高所恐怖症などがそうです。高いところを怖く思うのは「高いところにいる」という危険に対する正しい反応ですが、それが過ぎて高所恐怖症になると吊り橋を渡るときなど実際の生活(でも吊り橋は稀か。)で時々困った状況に陥ることもあります。

以上の三つが、作品と質感の対比から導き出される哲学です。特に「物理的な情報が質感を示す」は重要だと私は思っています。コンピュータなどの(乱暴に言えば)数学的な計算機が、芸術に大きく寄与できるのも、この法則があるからでしょう。

作品を見るときは、その作り方を考えると面白いものです。制作者がどう苦労して、どのソフトをどう操作して、どの要素にどういった効果を込めたのかとか、この絵のパスはこうなってるんだなとか考えると、作品鑑賞が楽しくなると思います。

■(2008.5.1)

※使い方が同じかどうかはわかりませんが、「質感」という言葉は、NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で知ったものです。
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2008年05月26日

More is Different(3)

この記事は前記事の続きです。

――どんな質感も、物理的な情報にされると言うことは、逆に捉えれば、物理的な情報が質感を示すと言うことも指しています。たとえば雷のあの空間を切り裂くような存在感も、作品(この場合は動画)上では、光の筋のフラッシュという映像情報からと、そしてそれに付加する雷鳴のとどろきの音情報から導かれます。

この法則はアーティストにとってとても重要で大きな強みです。芸術家は雷の存在感という質感を、光の筋と言う映像作品を描くことによって表現できることになるからです。(当たり前ですね。) それは芸術家がその心を鑑賞者に伝播する唯一の方法でもあります。

そして強みとは、(コンピュータ上で言うPhotoshopとかで)背景を暗くし、雷にBlurをかけるという物理的な情報編集方法によって雷の壮絶さという質感を表現することも出来ることになるということです。要素を適切に配置すれば、適切な効果が得られます。音楽を例にとってみれば、ある雰囲気を作りたければ楽器の種類を変えたり、コードを吟味したり、エフェクトもかけてみればいいことになるわけです。

私がblightで使った強調方法を紹介しましょう。(私が勝手に作った作品で済みません。) 私は構想を元に、作品に壮絶感のある景色を与えたいと思いました。

【blightについて足の描き方について知り合いからクレームがつきました。私がいまだこれを解決するための足の正しい描き方を身につけていないということと、この作品がInkscape上でかなり重い作品になっていて私のiBook G4のスペックでは編集できないことから、改善の道のりはたっていません。】

そこでまず登場人物の表情をきつくしました。そして人物の服はぐしょぐしょに濡れていて、服には泥が付いていて、人物は頬に付いた泥を手の甲でぬぐっています。

画面上に斜め線の豪雨を降らすだけでなく、背後に雷を落とし(先ほど雷を例にとったのはこのためです)、雷で雨を光らせ、人物の影になっているところは光が当たらないので雨は描かず、水たまりには雷を反射させ、雷にはぼかしをかけ、発光している様子を克明に示す、などのことを重層的に行いました。

これらのものは最終的な出力としてはただの画素になってしまいますが、その画像を見たときそれらの壮絶感が見る人の心の中に適切にデコードされることでしょう。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年05月24日

More is Different(2)

この記事は前記事の続きです。

――作品が作られ、鑑賞して消化される流れにおいて、作品は、

質感(制作者内)→作品(出荷段階)→質感(鑑賞者内)

と言う変遷を持ちます。つまり制作者は作品が持つ質感を理解して作品を制作し、作品として出力し、鑑賞者はそれを受け取って質感として鑑賞すると言うことです。

これは三つの哲学を示します。一つは「質感を制作者が隅々まで理解していないと作品は作れない」と言うことです。二つ目は「どんな質感も出荷段階では作品という物理的な情報に変換される」と言うことです。そして、三つ目は、「質感としてデコードされる段階で鑑賞者によってその結果の質感が変わってくる」と言うことです。

一つ目の「質感を制作者が理解していないと作品は作れない」ことについて話しましょう。たとえば小説を作るためには直接文字を創出させるような芸当は出来ません。必ずあらすじを考えてからのスタートとなります。絵を描くためには構図を考えなければなりませんし、アニメは絵コンテがないと作れません。制作者はそれらの要素がどういった質感を持つのか考えなければなりませんし、鑑賞者がそれをどうデコード(作品を質感に変換)するのかと言ったことを考えなければなりません

二つ目の「どんな質感も出荷段階では作品という物理的な情報に変換される」は私にとっては最近知った新鮮な考え方でした。普通の人にとってはそんなはずはなくて当たり前かもしれませんが、わたしにとって昔、音楽は音楽(の感覚)そのままで、絵画は絵画(の感覚)そのままで、それが画素やベクトルの集まりだとか、波形や楽譜情報だとかであることは理解していなかったのです。

例をとれば、人間は誰が誰であるかの識別にその人それぞれの顔と言う外見上の特徴を使うということが取り上げられるでしょう。信じられないことにわたしは昔、その人が存在する限りそれは無二のものであり、その唯一性で存在を識別するのであって、外見から識別するものだとは思っていませんでした。(なんのこっちゃ。) 

しかし、今漫画風の絵を描くようになって、キャラクターは外見で識別するものであって、その識別の結果鑑賞者はその存在を認識できるようになるものなのだとわかりました。キャラクターの生き生きとした命とでも言えるものは、一見それとは関係ないような(?)外見からも認識されるものなのです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年05月22日

More is Different(1)

※この記事では芸術作品を制作するときに使える法則を示しますが、私は芸術に関しては個人的に研究しているだけであって、世間で通用するような経験があってこれを書いているわけではありません。「またwhitecapsがなんかエラそうなこと言ってるよ」と言った感じに軽く受け止めてください。

回の記事では私の芸術に関して個人的に見つけたセオリーを取り上げます。それは私が作品を作っていてよく感じることで、言いようによっては当たり前なことです。

話をはじめるにあたって、話の要素としてまず二つの対になるものを定義します。それは、「作品」と「質感」です。

作品」は作品です。より詳しく定義するなら、物理的な作品の情報とでも言えばいいでしょうか。(私にとって)わかりやすくコンピュータ的に例を言うと、それは写真で言えばRAWファイルであり、音楽で言えばAIFFファイルであり、動画で言えばQuickTimeムービーです(例がいまいちですが、JPEGとかは圧縮されているので誤解を生むかもしれないと思いました)。

質感」とは、質感です。より詳しく定義するなら、人間が作品から感じる感覚と言えばいいでしょうか。写真を見たとき、音楽を聴いたとき、人が感じる感覚と感情が質感です。布目の画像を見て布の質感を感じとるのもそうですし、映画を見て感動するのも質感です。

私は以前、学校の文化祭関係のある冊子に「人間は見ているのではない、視ているのだ」と言う一種の格言のような自由律俳句を載せました。この言葉の意味は、「人間は目という器官で画像情報を受け取っているが、実際にそれを理解するときはその画像を解析した結果で理解している」というものです。

つまり人がコップを視ればそれを単に画像として捉えるのではなく、テーブルの上にコップがのっており、そこまでの距離は大体いくらで、色は何色に塗ってあり、中の飲み物は熱そうだ、とかそう言う要素を無意識のうちに理解して感じると言うことです。この例の場合、人間が目で捉えたコップの映像情報はQuickTimeムービーのような「作品」で、コップの中の飲み物の熱さの推測の感覚は「質感」と言うことになります。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年05月20日

詩『カフェイン』

元気にしてる?なんて電話があって
僕はいつものコーヒー店に呼ばれた
呼んだのは君のほうだけど
先に席に座ってるのはいつも僕なんだよね

店の扉を押して入ってくる君

君とはじめて顔を合わせてから
どれくらいの年月が経っただろう
君と別れてから
どれくらいの季節が過ぎただろう

相変わらずコーヒー仲間って感じでさ
何も進展なんかない
離れも近づきもしないで
おかげで変な干渉もなくてさ
かえってお互い信頼でもしてるのかな?

話すのはたわいもない戯れ言で
うわべばっかなのに、
何も言わなくても心の中では分かり合ってる
何かがおんなじな気がするから
君と僕は
似てるようで似てなくて
似てないようで似てるから

君の前では饒舌が良いの?
それとも無口にハードボイルド?
まあどっちにせよ君と違って
なんちゃってには変わらないかもしれないけどね
僕の心の底の浅はかさまで知ってる君には
フェイントなんて効かないだろう

憐憫ならいらないしね
でも君がそんなバカなことをしないって
僕も知ってるから
僕が知らない僕を見つけてくれたこと
今でも感謝してる

眠る場所は外にあるなんていわないでさ
たまには自分の家に帰って休んだら?
せっかく買った家なんだろうしさ
自分の家が買えたこと、あんなに喜んでたじゃない。

君はパフォーマー
でもプライドは絶対捨てたりしない
雰囲気は千変万化
でも心は一つ

ライバルもたくさんいるだろうけど
君の抜群のセンスは中途半端じゃなくて
誰もマネ出来やしない
君は安心してよいと僕が保証できる
でも、君はとどまるところなんか知らないよね

君が送ってきた青春の重さに
かどかわれそうだよ
もちろん今だってすごいけど
僕なんか色褪せて見えるよ
でも、僕だっていろいろあったんだよ、知ってた?

君の何とかにウンザリすることもあったりするけど
一応遠くからでも君を応援してるよ

あ、そう。君……新しい彼氏出来たんだ。
そりゃよかったね。
え?昔からつきあってるって?
聞いてないよ、それ。
なんかこのコーヒー苦くね?

「嘘の中に、作り事の中に本当の心が隠れている
 そこに誰かが暮らしている限り
 誰かがその景色を見ている限り
 その存在は嘘じゃないから。」

僕が月並みな哲学を語ったら
「あっそ」って感じで君は席を立った

おい、もう一杯コーヒー飲んでいかないのかい?
え、これ、俺のおごりかよ!?
マスター!つけといて
あ、またあきれた顔した。

■(2008.5.4)

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2008年05月18日

ショートショート『f9』

以下のショートショートはNHKで再放送中のアニメ『電脳コイル』の世界観を元にして作りました。ただし、雰囲気がそうであるだけであって、話の内容や設定は異なります。一部、コンピュータ関係で知ってる人にしかわからない記述があります。

ショートショート『f9』ダウンロード(PDFファイル、292KB)↓

テキストバージョン:f9.txt.zip(ZIP圧縮、テキストエンコード:Unicode(UTF-8)+LF)

###

・This work is licensed under the Creative Commons Attribution-Noncommercial-Share Alike 2.1 Japan License.
ラベル:電脳コイル
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2008年05月15日

Firefoxのオススメ拡張機能(後)

この記事は前記事の続きです。

「Resizeable Form Fields」はテキストエリアやテキストフィールドなどのHTMLのフォームフィールドをリサイズ可能にする拡張機能です。【この拡張機能は現在配布されていないようです。代替として「Resizeable Textarea」が使えるかもしれません。未試用】Safari3にはデフォルトで装備されている機能で、この機能は前から私がFirefoxにも欲しいと思っていた機能ですが、Firefoxではこの拡張機能によって利用可能になります。ちなみになぜこの機能が欲しいと思っていたかといえば、Seesaaブログのサイトの中のあるテキストエリアが編集するには狭すぎて見えにくいからです。この機能を使えばこの問題も解決できます。

Restarter」はその名の通りファイルメニューにFirefoxを再起動するためのメニューを追加するものです。これを使うとFirefoxをカスタマイズして楽しんでいる人は簡単にFirefoxを再起動させることができます。

User Agent Switcher」はお使いのFirefoxのユーザーエージェントを偽装することが出来る拡張機能です。ユーザーエージェントとはユーザーがどんな種類のブラウザを使っているかという情報をWebサイト側が取得するための機能ですが、この拡張機能はこのWebサイト側に提供する情報を変更することが出来ます。これを使うと対応環境がWindowsオンリーやIEオンリーのサイトで普通ははじかれてしまうところを、無理矢理表示させることも出来ます【後日注(5.23):User Agent Switcherを使って表示すると言うことは無理矢理表示する方法であるということなので、正常に表示されないサイトも時々あります。】しかし私はこの機能を使ってWin+IEオンリーの動画を再生することに成功したことはありません。

自分のWebページを持っている人なら「Web Developer」もオススメです。この拡張機能を使うとWebページのあらゆる情報を解析したり、いろいろなツールを使うことが出来ます。たとえばカーソルが指している要素は何かと言ったことをわかりやすく表示できたり、ブロックレベル要素を枠で囲ったり出来ます。HTMLの構文を検証するサイトをダイレクトに表示することも出来ます。私は私のブログ管理にこの拡張機能を利用しています。

結構前から知っていたのに、インストールしてこなかった拡張機能が「ScrapBook」です。最近になってインストールしてみたのですが、結構便利そうだと言うことがわかりました。この拡張機能は単純に言うとローカルにWebページを保存するためのものです。ただ、普通の保存と違って、HTMLに関連づけられている外部ファイルなど一式を、それぞれのページについてサイドバー内にリストを作りながら保存できます。私は今までローカルに保存したWebページはいちいちFinder(Mac)上でダブルクリックして開いてきたのですが、この拡張機能があればサイドバーからクリック一つで開け、一元的に管理できるので便利になりそうです。取り込むHTMLを編集する機能もあります。

――便利なFirefoxの拡張機能ですが、良いことばかりではありません。全く残念なことに、拡張機能を入れるとFirefoxの動作が不安定になったりすることがあります。その原因はインストールした拡張機能が作成時に適切に設計されていなかったということなどであり、この問題は拡張機能の宿命と言えます。また、Firefoxに組み込んで使うわけですから拡張機能のインストール時はセキュリティー上の配慮も必要になります。もし拡張機能によってFirefoxが不安定になるようなことが起こった場合は、問題のある拡張機能を無効化して対処することになります。

随時機能拡張できるという点で言えば今のところFirefoxを越えるブラウザはありません。すでにFirefoxをお使いの方はいろいろ拡張機能を試すといいでしょう。またFirefoxをお使いでない方も、Firefoxに乗り換える検討をしてみることもいいと思います。

■(2008.3.28)

【後日注(2008.6.9):SafariでもSafariStandというソフトを入れると機能を追加できるそうです。】


ラベル:Firefox safari Seesaa
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2008年05月13日

Firefoxのオススメ拡張機能(前)

後日注:タイトルに「オススメ」なんて書いてしまいましたが、Firefoxの拡張機能は非常にたくさんあります。この記事で取り上げた拡張機能が特に最適解なわけではありません。似た機能を提供する拡張機能があったりしますし、いろいろ試してみるとよいかと思います。

後日注:現在のFirefoxでは「拡張機能」ではなく「アドオン」と呼ぶのが正しいのかもしれません。(5.19)

Firefoxは動作の素早いと言われているブラウザですが、インタフェース部分にXUL(ズール)を使っているのでその分多少動作が遅くなります。Macにおいて言えば、ネイティブな開発形式を使っているSafariShiiraCaminoの方が速いとも聞きます(未確認)。そう聞くと私はそれらのブラウザも使ってみたくなるのですが、それでもやっぱりFirefoxからは乗り換えられません。なぜなら、Firefoxには強力な拡張機能があるからです。これは先ほどのスピードに問題を与えると書いたXULの技術によって実現されるものです。

今回は私が使っているFirefoxの拡張機能を紹介したいと思います。もちろん全てフリーです。ほとんどのものはMozillaのアドオンサイトからインストールできます。

まず最初からインストールされている拡張機能について書きたいと思います。Firefoxには最初から次の二つ、「DOM Inspector」と「Talkback」が入っています。DOM Inspectorは表示しているページのDOMを解析できます。DOMとはなにかというのは難しいのですが、HTMLのタグ構造をツリー状の概念で把握し、それを使っていろいろな機能を提供するようなものだと思っていただければいいと思います。TalkbackはFirefoxが異常終了したときにその情報を収集しインターネット上のデータベースに送信する機能です。このことにより、Mozillaの開発者がFirefoxに含まれている問題を発見することに役立ちます。ただ、私が使っている限りではどっちかというとTalkbackは機能しないでMac OS Xのクラッシュレポーターが動くことのほうが多いのですが……。

では、追加機能を提供するオススメのアドオンを紹介しましょう。私は私のFirefoxに「All-in-One Gestures」を入れています。これはFirefoxでマウスジェスチャ機能を追加するものです。マウスジェスチャとはマウスの動きでブラウザを操作する機能で、Operaなどのブラウザに採用されています【私が知っている限りのものは古い情報なので今もそうかはわかりません】。たとえばページ上で右ボタンで上向きにドラッグして離すと赤い軌跡が表示され、新しいタブを開くことが出来ます。【この内容は前も書いたことあるなあ……。

Growl Notifications」はMacのメッセージ表示ソフトGrowlとのFirefoxの連携を提供する拡張機能です。動作にはMacとインストールされたGrowlが必要です。基本的に、私がこの機能を見るのはダウンロード項目のダウンロードが完了したときです。この機能はファイルのダウンロードが完了したことをGrowlを使って表示してくれます。ちなみに私が確認した限りでは、GrowlはVirtueDesktopsでどのデスクトップを開いていてもアクティブなデスクトップに通知を表示してくれます。Growl Notificationsの問題としては、Webページを外部ファイルを含めて保存したときに、その外部ファイルの数を含めた回数分通知をしてしまう点です。たくさんの外部ファイルを含んでいるWebページでは延々と通知を表示し続けてしまいます。【後日注(20086.9):Firefox3では拡張機能を入れなくてもデフォルトでGrowl機能を利用できます。】

PicLens」はメジャーな画像関連サイトで3Dのかっこいいインタフェースを提供するものです。【この内容も前書いたことあるなあ……。】私はこれでGoogleイメージを使ってトキカケの話題を扱った面白いサイトを見つけることが出来ました。Googleイメージは私個人の感想ではあまり使いやすいサイトではないのですが、PicLensがあるとブラウジングがスムーズになりそうです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

ラベル:Firefox XUL
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2008年05月11日

ジングル - introist



↑GarageBandで作曲した短めの曲です。最初のコード変化(イントロ)が最後まで繰り返されるという“けったいな”曲です。(曲ファイルをダウンロードするときは、ダウンロードファイルのウイルスチェックを各自でなさるようにしてください。)

【後日注:ようは全ての音をコードに沿って配置しただけと言うことです。(5.25)】
ラベル:GarageBand
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2008年05月09日

詩『I REMEMBER』whitecaps

五月の風に吹かれて 僕の短い髪が揺れる
僕は一人で街を歩いている
まわりに浮かぶ ただぼんやりとした明るい雰囲気
でも僕の心は鉛のように動かない

誰が笑っていても、
何が日の光を浴びて輝いていても
僕の心は後ろめたい
守りたいものは遠く 僕の手の届かない場所に
僕は失ったその記憶を 心の隅に片付ける

人の言葉を恐れて
見たくないものに目を背けて
大事なものを放り出して
暗い部屋の中で
ただテレビの画面ばかりを見ている
泡のような痛みも気にせず
ただコーラを喉に流し込んで

――自分という存在を確かめたくて
ただ淋しさにとらわれて散歩に出る

外は闇。

見上げると青い月が空高く輝いている
昼間と同じ風が 吹いている

月がささやく――

心に問い直せよ
もっと大事なことがあるだろう
もっと守るべきものがあるだろう
忘れちゃったのかよ
どんなに心が傷付いてでも守るべき、大事なものを
命をかけてでも守りたいものを
その輝きを

もう一人の僕が叫ぶ――
思い出せよ 心臓の鼓動を
何かに向かっていく 果てしない情熱を
研ぎ澄まされた心を 心の底からわき上がるものを

僕は寂しげに片笑む
――覚えている 覚えているさ
何も忘れてなんかいるわけがない

今は離れたところにある大事なもの
それを守るための手段を 知りたいんだ
いつか僕がその場所に行ったとき
その場所に行けたとき
すぐにでも、助けになるように

そしてただ、今は目の前の君を守りたいんだ
今は、目の前にいる君を――。

■(2008.4.24)

銀魂動乱編の土方さんを見て書きました。やっぱオチはああなるのね……。

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2008年05月07日

敵対的ディベートのスゝメ(3)

この記事は前記事の続きです。

――議論を交わす雰囲気はさながらTVタックルみたいなのを想像して貰うといいと思います。相反する意見が乱れ飛ぶような自由に議論できる雰囲気作りが必要です。本音に基づいているならばどんな攻撃的な意見でも重要です。ただし、それが誹謗中傷にならないように気をつけなければなりません。そして、どんなことがあっても暴力に発展してはいけません。こんなに本音で意見をぶつけているのに、こんなに言葉で攻撃しあっているのに、互いにルールは守り、暴力もふるわない。そうお互いが認識することによって、そこに理解と和解が生まれるのです。お互い誠意を持つことが必要です。

それぞれのグループで討論が終わったら、クラス全体に戻って結果を発表しましょう。それぞれの議題、出てきた意見をかいつまんで話し、結論を言います。敵対的ディベートでは結論が出ないこともあります。そう言った場合では次回の授業に持ち越ししたり、そこで議論を打ち切っても構わないでしょう。

私たちが捕鯨についてディベートを行ったときの結論を話しましょう。最初意見チームの人数はほぼ同じくらいに分かれたのですが、授業の最後で我々は一つの結論に達しました。それは、「鯨が絶滅の危機にあるなら捕鯨はやめるべきだし、そうでないなら捕鯨は問題ない。鯨の頭数に関しては様々な情報があり、絶滅しそうかどうかは我々には判断できない。」というものでした。

グループの中では一人、黒板に議論を整理して書き付ける人が必要です。これについては結構深い話になるので、またの機会に話しましょう。もしあなたが何事も極限して考える、完全主義者だったら、このディベートを図にして書き付けるということから、ある一つの真理を見つけ出すでしょう。それは「本当に正しいとは何か、何が正しいということの基準になるのか」という問いの答えです。

敵対的ディベートは、先ほども書いたとおり参加者にやる気がある人が参加しなければなりません。私の中学時代に、それが成り立ったということは、実はとても幸運なことだったのかもしれないと私は思っています。もし討論に対してやる気がある人があなたの周りにいるならば、敵対的ディベートをすることを考えてください。授業でなくても、部活としてやるのでも結構です。(我々はディベート部を立ち上げることはかないませんでしたが……。)きっと、本音と本音のぶつかり合いを通して、互いの理解を深めることが出来るはずです。■(2008.4.21)
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2008年05月05日

敵対的ディベートのスゝメ(2)

この記事は前記事の続きです。

――敵対的ディベートでは、ある人のその意見を成り立たせる全ての理由に関して、相手側に言い負かされた場合は、自分のチームを離れ、相手側、つまり反対の意見を言っているチームに強制的に編入することになります。強制的というと納得もしてないのに意見を変えることになるのではないかと思うかもしれませんが、その意見を成り立たせる理由を全て取り払われた人というのは、大抵相手側に移ってもいいと自然と思うようになるものです。敵対的ディベートでは議論上負けているのに黙ったまま自分のチームに所属したり、逃げたりすることはしてはいけません

敵対的ディベートでは、最後にどちらが勝ったか決める審判役の人はいりません。勝敗はそれぞれの意見チームに所属している人の人数で決めます。

敵対的ディベートで大事なのは、本音で語り合い、意見をぶつけることです。嘘偽りや建前があってはいけません。なので、敵対的ディベートには以下のような参加者が必要です。

  • 自分の意見を絶対だと思っている人
  • 自分の意見と違う意見を持っている人を強硬に攻撃する人
  • 攻撃されたときに、傷つく人

何でこんな意味不明な人たちが必要になるのかと思うかもしれませんが、これらは本音で意見をぶつけ合うのに必要な人たちです。敵対的ディベートを行う上で一番よくないのは、参加者が葬式の参列者のように冷めていて、議論が白熱しないことです。上記の人たちは、議論を白熱させる力を持っています。敵対的ディベートにおいて、これらの人たちは大事な人たちなのです。そして、以下のような人も必要です。

  • 議論を冷静に判断して、人間的な常識の見地に立って議論を断罪する人

議論がただ熱くなるだけではいけません。それでは暴走するおそれがあります。時々人間は熱くなると暴言や詭弁をいいます。これらに対して「それはおかしいだろ」と冷静に指摘する人が必要です。これらの人は議論が狂気に満ちあふれないようにブレーキをかける役割を持ちます。また、これらの人は意見ごとに二手に分かれるときに、人数が少ない側の人を気遣って、そのチームに参加してくれる人になるという大事な役目も持っています。敵対的ディベートでは各人がそれぞれの意見に沿って分かれるので、賛同者が少ない意見チームが出る場合があります。とくに参加者が攻撃にさらされるのをいやがって、その人が持っている意見に反するのに多人数側に付くといったことが起こるのは大問題です。そう言ったときに、「自分はどっち側でもいいんだけど」と言った人の中から少人数側に助太刀する人が現れることが必要なのです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

ラベル:ディベート
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2008年05月03日

敵対的ディベートのスゝメ(1)

は今はパソコンやアニメや芸術のことに入り浸っている人間ですが、一時はその攻撃的な性格を活かして、政治的な話題に積極的に関わることがありました。中学の時、政治好きの友達と一緒に選択科目でディベートをとり、激論を交わした時代があったのです。

ディベートとは、簡単に言うと討論のことです。ただ、手順というのが決まっていて、それに従って討論をすることになります。正式な形のディベートというのは、とても形式的です。インターネットなどで調べればわかると思いますが、ある議題に沿ってクジかなんかで決められたとおりに二手に分かれ、資料を調べ、司会者の許可を得て、順番に意見を発表します。最後に審判の人がどちらがよかったか挙手で判断します。

でも、学校の先生が正式なディベート形式を授業に導入する前、ディベートを選択でとっていた私たちは、自己流の方法でディベートをしていました。そしてこれがかなり面白くて、私は先生にこの方式に戻すように提案したほどです。学校の友達も、のちにこの自己流ディベートのことを『面白かった』と言っていました。いい名前が思いつかなかったので、便宜上ここではこの自己流ディベートのことを『敵対的ディベート』と呼びましょう。

その方法を紹介します。まず、正式なディベートというものはクラス全体で一つの議題を扱います。しかしこの方法だと人数の問題から実際の議論に関われる人は一部だけになってしまいます。なので敵対的ディベートでは、クラス全体で授業をするときなど、人数が多いときは人数を分けてグループを作ります。1グループは6人くらい、それぞれの意見チームは3人ずつぐらいがいいでしょう。グループで分けた場合、グループごとに別の議題を扱うことも出来ます。

そして、グループ内で相反する意見ごとに二手に分かれます。分かれるときはその人が信じる意見に従って分かれます。意見が別の要素で割り当てられることはありません。このことによってその人は自分が信じる考えから本音で意見を言うことが出来ます。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

ラベル:ディベート
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2008年05月01日

詩『芝生』

ある日のことさ
僕はあの人と一緒に芝生に寝ころんで
空を眺めていた

芝生の草が
服の上から僕の肌を刺す
でもそれもなんか気持ちいい
大地に寝ている
そんな気がして

太陽が照っててさ
草の影がくっきり見えるくらい
ぽかぽかとした陽気で
僕を包んでいた
まぶしいくらい

澄み切った青空に
綿雲が浮かんでいる
横にいるあの人が
あの雲がなんの形してるとか
そんなたわいもないことを言う

風が吹く
風が僕の頬を触る
雲がゆっくりと流れる
雲の影が芝生を渡っていく――

次の日も芝生に寝て
今度は一人でさ

また雲が流れる
芝生に寝転がって
とめどない未来の夢を思い浮かべるんだ
太陽の光が澄んだ空気を照らして
芝生を、ベンチを温めて

あの雲はどれくらいの高さに浮かんでるんだろう
どこからやってきたんだろう
次来る雲はどんな形だ?
なんてあの人みたいにとめどなく考えてさ

空がなかったら
あの青い空がなかったら
昼間でも星が見えるんだろうなんて考えて

世界が一つだなんて
誰が決めたのさ?
地平線は見えないけど
あの太陽は
別の世界でも照っているのに違いないのに

寝転がるのにあきたら
起き上がって背伸びしてさ
仲間と一緒にキャッチボール
時々強く投げたりさ――

曇る
雨が降る
雷が落ちる
みぞれが降る
雪が降る
月が出る
漆黒の空に

たまには空気を吸いに
外に出てさ
街を歩いて
店を眺めて
木を通り過ぎて
人ごみに紛れて――

ただ淡々と営みを続けている
腹が減ったら食べて
眠くなったら寝て
それが僕らの存在意義なのだろうか

目的なんてない
原因なんてない
理由なんてない
欲求なんてない

でも、ただ走り出して――

あの人に会いに行こう。■(Date Unknown)

ファイル作成日:2007年12月6日

お知らせ:詩がたくさんたまっているので、これからの更新は詩が多くなります。

posted by whitecaps at 13:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする