2008年08月18日

お知らせ:更新を停止します

またしばらく田舎の親の実家のほうに行くので、更新が止まります。まあ、実際のところ掲載する記事のソースが無くなってきたからと言うのも理由なのですが……。帰ってきた頃にはあまりよくないお知らせがあるかもしれません。


posted by whitecaps at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

詩『けど、だから』

現実は平凡なように見えて実は綱渡りみたい
いつもそばにあるちょっとしたもの
そんなものを失っただけで転げ落ちそう

強がりは何かの裏あわせで
プライドはもろい自尊心
キザなセリフは不安だから
ペンを手に取るのは、満たされないから

でも、恐れない

もう引き返せないんだって君も誰かも言ってたじゃない
キーボード叩きまくってでも闘うしかもうないでしょ
マンネリしたこの時間がきっと私の願う未来へ続いてる

この世界に生きている限り
自由なんてどこにもない
けど、腕を広げれば心に自由は描ける

例え選択肢がなくても私は未来を選び取りたい
その気持ちだけは忘れたくない

体育館の隅 腕組んで考えてたんだ
皆を見ながら あの日のみんなを見ながら
きっと帰ってくるって それは夢を叶えた後でいい
でもきっと帰ってくる 君とまた会うために

きっと変えてみせるからって

趣味は仕事にしない方がいいなんて言うけれど
ほんとに好きなら躊躇する必要なんてないんじゃないの?

楽しみには苦しみはつきものだなんて
言われなくてもとっくにわかってるから
だからこそ面白いんじゃない
産みの苦しみなんてとっくに経験済みなんだから

目指すべきものがなにかなんてもうわかってる
だから、今できることをするだけ
誰が何と言おうとも
たとえ人の夢を追いかけたところで ろくなことないし

覚悟が出来てるかなんてわからないけど
この思いはどんなに消したところで
いつだってまた浮かんでくるんだから――
夢の中で眠り続けるわけにはいかないでしょ
自分から可能性をつぶすなんて出来ないし

自分の力で生きていると思っても
一人では何も成し遂げられない、それも事実
けど、

1ピクセルでも闘っている
コンマ一秒だって見逃すわけにはいかない
今の私はプロだなんて到底言えないけど
より上のものを追い求めてる それは同じ

きっと過去の自分が手を携えてくれる
ショートカットなんていつ覚えたかなんてわからないけど
何がどうつながってるのかさえ実はわかってないんだけど
今すぐにでも使えるんだから――

「自分を信じる」なんてかっこいい言葉
言える君の強さをうらやましく思ったりもする でも

わかってる、等身大の自分
それが誇りの源なんだって
私を支えているのは、素の私なんだって
今の素の私が きっと誇りそのものなのだから

だから、自分の視線から足を踏み外したりなんてしない

きっとそれは――
954歩目の、覚悟。

■(2008.6.25)

読んでみてナニ調なのかはわかる人はわかるかもしれません。何度も言いますがこのブログの管理者である私は男ですから、ずっと昔書いた詩『My Foot』の注意書きがこの詩にも当てはまるでしょう。この詩での「キーボード」という言葉は、パソコンのキーボードと楽器のキーボードをかけています。

posted by whitecaps at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

デジタルはデジタル、アナログもデジタル

dialog-warning.png以下の記事ではまだよく熟考されていないドラフト段階の哲学理論が述べられています。また、この記事での「デジタル」とは量子化および標本化したデータという意味ではなく、パソコンで扱えるような0と1に置き換えることの出来るデータという意味としてこの言葉を使っています。

よく「私はアナログ人間だから……」と言う言葉をよく聞きます。人付き合いをうまくやりたいならそう言った方が良いとまで言う指南書さえあります。これは「アナログ人間だから……」と言う言葉が聞く人に「この人はきちきちしてない柔らかい人格なんだな」という印象を与えるからです。

そういう言葉を口にする人、聞く人はもちろん、普通の人はアナログとデジタルは相反するもの、対照的なものと思っている人が多いことでしょう。でも、私はこう考えます。アナログも、実はデジタルなのだと。

私は科学に詳しい人間というわけでないのでここは他の情報源の受け売りなのですが、アナログ情報は正弦波で出来ていると言われているそうです。正弦波とはあの皆さんご存じのとおりのsin(サイン)が作り出す波のことです。ちなみにデジタル情報は矩形波(square)といってonとoff、1と0を表す波です。

アナログ情報が正弦波の集まりで出来ている、と言うことは、その波の形はsinを使った数式で表せます。あれ?数式で表せる、と言うことはどういう事でしょうか。そう、数学的なデータで表せると言うことですよね。数学的なデータと言うことは、パソコンで扱える、最終的には0と1からなるデジタルデータなわけです。

私は正弦波と矩形波の違いについて本の図解で読みました。そこには図が書いてあり、正弦波のグラフが載っていたわけですが、よく考えてみればこの本はDTPの技術、つまりパソコンを使って作られたものであるわけです。正弦波の図が載っていると言うことは、正弦波はパソコンで扱える、デジタルデータであると言うことになるわけです。じゃないとその本に正確な正弦波を掲載するなんて事は不可能でしょう。これからもアナログがデジタルだと言うことがわかります。

アナログもデジタルであることは納得していただけたのではと思いますが、ここからはこの理論から導き出される考え方を述べてみましょう。

正弦波を数式で表すと言うことはベクトル画像の考え方に似ています。ベクトル画像もそれらの図形が持つ輪郭の曲線を数式で保持して表しているからです。と言うことはベクトル画像が解像度に制限がないように、アナログ情報も解像度に制限がないのではないでしょうか、ベクトル画像をズームするように、どこまでも高品質な情報が得られるのではないしょうか。

また、紙に印刷された文字はそれがプリンタでラスタライズされていることを見る人に意識させません。それがあまりにも高精細すぎて人間の目には画素が見えないからです。あまりにも高精細なデジタルデータはアナログデータと同じように見える。これは、こうも考えられないでしょうか。つまり、一般に人々がアナログだと思っている物体は、全て無限と言えるほど高精細なデジタルデータから出来ているのではないかという考え方です。

もし本当にデジタルでないアナログなデータがあるとしたら、そのデータはこの世界に存在できないのではないでしょうか、なぜならこの世界というハードがそのアナログデータというソフトを扱うと言うことが出来ないからです。

ちょっと理解しにくい話になってしまったかもしれませんが、私はこれからは「私はデジタル人間だから……」といって生きていこうと思います(……)。

■(2008.8.11)

posted by whitecaps at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月12日

音楽の論理と直感

昔学校の音楽のレポートで書いた内容を掲載したいと思います。一部、今の言葉で内容を書き直しています。許可は得ていませんが、学校の先生の添削内容も並べて掲載したいと思います。先生、添削有り難うございました。

音楽はたくさんの不思議な要素を持っていると思います。音楽の音自体は物理的に見ればそれこそただの音の集まりでしかありません。でも人間が音楽を聴くとそこに感情が生まれます。メジャーコードは明るく、マイナーコードは暗く響きます。まずこれがとても不思議です(☆1)。人間の脳はそういう風に出来ているのでしょうか。動物はどうなんでしょうか? もし人間だけならば、なぜ人間はそういう性質を手に入れたのでしょうか?

次に不思議なのは音楽の法則性です。先ほどのメジャーコードやマイナーコードもそうですが、最近になって音楽には法則性があることを学びました。私は昔は音楽(というか芸術全体)という物は直感で作るものだとばかり思っていたので、そこも最近になって知って驚いたところなのです。

数学も音楽に関わりあるそうで、音楽を作曲すると言うことは、全ての情報を計算して、そして時に研ぎ澄まされた直感を使って作曲すると言うことなんだなーと思いました。

そういえば小学生の頃、同級生の女子が話しかけてきて「作曲家って頭の中で音が思い浮かぶんだってよ。信じられないよね」と言われたことがありました。自分はその時「そういうもんなんじゃないの?」みたいな返しかたをしましたが、実際自分でもそれは疑問だったのです。

当時から私は聴いたことのある曲を頭の中で流す(思い浮かべる)ことは可能でしたが、これも正確さに欠ける再生装置で(私はこれを脳プレーヤと呼んでます)、しかも新しく曲を創出するという能力は持っていませんでした。しかし今は私は音楽理論について調べて、多少なりはその作曲の裏側にある法則性が見えてきた感じがします。もちろん、頭の中で曲が思い浮かんでそれを曲にすると言うことはまずありませんが。

法則に従って曲を作ると言うことは、自然と画一化を引き起こしかねないという問題があります。昔はオレンジレンジにパクりバンド騒動がありましたし、世の中にある歌は曲だけでなく歌詞まで似たようなものがたくさんあります(☆2)。

基本的にコードとリズムに沿って音を配置すれば曲というものは作れるので、昔どこかのブログで読んだ、「音楽の広がりには有限性がある」という言葉は本当なのでしょう。歌詞も、「これは『詩的な』言葉をとりあえず並べてみただけなのではないか」と思うことさえあります。(そういう歌に限っていい歌だったりするのですが。)

結局曲に法則性があると言うことは、最終的に全体を見れば人間が曲に求める要素は同じと言うことを表しているのではないかとも思います。つまり、このことを肯定的に捉えることも出来るのではないかと言うことです(※)。でも、それでももちろんミュージシャンたちは、これまでにない新しい表現を探して活動し続けるのでしょう。■(2008.8.9)

以下先生の添削です。

☆1……私もこのことが不思議でなりません. 世界のどこかには、マイナー・コードのほうが明るく感じる民族がいるかもしれないなあ…とか、時々考え込んでしまいます.

☆2……人が声で歌える範囲の鍵盤の数は限られているし、言葉だって、国語の辞書の中で歌詞に使える言葉も限られるわけだし….

☆私は演歌を聴くたび、これほどパクりで成り立っているジャンルもないなあと思ってしまいます. 全く知らない歌をはじめて聴いても途中からどうラストにメロディーが向かうか予想できてしまいますよね. まあ、肯定的に捉えた方が、音楽を楽しめそうですね.

☆近頃脳科学の進歩が目覚ましいので、そのうち今まで疑問の範囲だった問題も、科学的に解明されるかもしれませんね.

※とは言っても私が書いた『夏色』や『テクノポリス』が有名な歌に対するパクり的な要素を持っていることを正当化しようというわけではありません。

posted by whitecaps at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

詩『テクノポリス』

終わったのがいつだなんて そんなことさえわからずに
この誰もいないアスファルトの上を
ただ今日が昨日になるのが怖くて ずっと二人、未明の都会を歩いてた

昼間は人の濁流があふれるのに――

夜の街を駆けるライトバン
視界に揺れる電灯の残像
繰り返す信号機

息苦しい夜に閉じられたシャッター
暗闇の中のアジサイが色褪せる
闇を飛び縫うシルエット

すぐつながれるはずのこの街で それでも心はつながらない
それでも心は満たされない

昨日のことなんか忘れられればいいのに
君は寂しそうに笑う
鼓動が立ち消える 止まってなんか無いはずなのに
僕は、君が泣き出すのを止められなかった

言葉が意味を失ったら
その時僕らの目に、見えるものなんてあるのだろうか――

命を終えた街の灯が、星の光が、一つ一つ消えていく
空が明るくなっていく

世界が動き出すその前に
手をつなごう
朝日が差し込むと 君と僕の影が地面に焼き付いてしまうから
また朝が来れば、眩しい光が何もかも消し去ってしまうから

今、溢れる光に飛び込もう
新しい一日を、新しい時間をまた積み重ねはじめるために
きっとその道は、まだまだ続いていくのだから――

■(2008.7.25)

BLEACHエンディングテーマ、pe'zmokの『GALLOP』から発想を得て作った詩です。ちょっと『GALLOP』とは違う解釈の部分もあるように作ってみたのですがどうでしょうか。――あのエンディング映像って夜のネオンサインを題材にしてるんだろうけど、本来の歌はあの場所では花火のことを歌っているのではないのかなあ。

追記:この詩はYMOの曲とは関係ありません。(08.11.6)
posted by whitecaps at 19:10| Comment(0) | TrackBack(1) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

Hydrogenインストール玉砕記(5)

この記事は前記事の続きです。

――で、最初からやり直しました。MacPortsのインストールは/をインストールパスの最後につけずにConfigureしてコンパイルし、Porticusも同様にして設定しました。そうしてインストールをやってみたのですが、「ヴァイオレーション」の警告は表示されず、どうもうまくいっているらしい――。で、期待してはいたのですが、gtk2はさっきと同様のエラーが出てどうにもなりませんでした。インターネットを読みあさってみて似たようなエラーに関する質問が載ったページがいくつかあったのですが、まだ返答が来ておらず、また英語だったのでなかなか読めず結局参考になりませんでした〈時間と英語の壁〉

Qtコンパイルが終わらない

GTKはあきらめました。HydrogenはGTKじゃないだろうと思ったのです。そこでPorticusを見てみると依存パッケージにQtの表示が、よし、インストールしてみようと思いました。

で、インストールしてみたのですが、とても時間がかかるかかる。それもそのはず、QtはAttempting100MBほどありました。こんなにでかいファイルを非力な私のiBook G4でコンパイルしようとしたら、膨大な時間がかかるわけです。結局前日の夜から一晩ほっといてConfigureが終わらず、Buildingに入ったところでしびれを切らしてキャンセルしてしまいました。コンパイルが進まなかったのはウィルス対策ソフトが動作していたせいなのか、はたまたWindowServerがCPUをいつの間に食ってたせいかはわかりませんでしたが、結局Qtのビルドは叶わず〈Qtの壁〉、Hydrogenのインストールもあきらめなければなりませんでした。

結局……

MacPortsがダメならFinkはどうだと思って調べてみました。Finkならバイナリもあるはず、と思ったのです。いろいろと説明書きを読んでそれは参考にはなったのですが、StableにあたるパッケージリストにはHydrogenの名はなく〈Finkバイナリの壁〉、これもあきらめざるを得ませんでした。

私はパソコン部員なので、学校のパソコン部のパソコンでHydrogenが動かないかバイナリをインストールして試させてもらったのですが(←いいのか?)Windows2000(Sevice Packなし)ではインストールは成功しますが起動時にこけました。〈Win2000上の起動エラーの壁〉【後日注:Windows2000でもService Pack 4なら動くようです。】

結局うちのWinXPに入れたところぎこちない演奏ながらも動いたので、結局全てまわり巡って戻ってきたといったところでしょう(納得いきませんが)。今回の経験からわかったことは、一般人がソフトをコンパイルすることがいかに愚からしい(?)ことかということでした。バイナリで済むことは、バイナリで済ました方がよい。コンパイルするだけパソコンの性能食ってCO2排出量が増えるだけだ、ということです(汗)。皆さん、ソフトを公開するときはソースだけでなくバイナリパッケージも用意しましょう。

■(2008.7.16)

ラベル:QT Fink
posted by whitecaps at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | コンピューター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

Hydrogenインストール玉砕記(4)

この記事は前記事の続きです。

gtkでコケる

――とりあえずSubversionが動いたのでMacPortsのインストールは成功したようでした。しかし、gtk-demoを見たくてgtkmmをインストールしようとしたところ問題が。もちろん今回もかなり時間がかかったのですが、途中でエラーが出ました。それによるとgtk2のところでつまずいていたようで、インストールに失敗。何度やり直してもgtk2はエラーを出してインストールできませんでした〈gtk2の壁〉。gtk2だけ独自にビルドしようかともしましたが、そうするとMacPortsのデータベースに不整合が生じるかもしれないと思いましたし(Finkには独自にコンパイルしたソフトをデータベースに組み込む機能があるようですが)、やってみたところlibtiffがロード出来ないとのことで、しかもlibtiffをオプションで無効にしてgtk2をインストールした場合にはいくつかのGTKアプリケーションが正しく動作しないだろうとの警告でした。

ちなみにMacPortsはCUIベースのソフトですが、PorticusというGUIフロントエンドがネット上にありました。このソフトを使えばコマンドを打ちそこなったりすることもありませんし、Portの一覧をよりグラフィカルに見ることが出来ます。ただし、検索フォームに文字を入れたままだとインストール済みのPortもフィルタが掛けられてリストに何も表示されないこともあるので、ここは使い方のコツ(てか当たり前?)です。

私はgtk2のインストールエラーの問題がMacPortsのConfigure時のパスを正しく設定しなかったからではないかと考えました。(エラー出力表示に書かれていたパスに//とスラッシュが二つ並んでいるパスがあったからです。) また、PorticusのMacPortsのインストールパス指定の設定をPorticusのインストールの時にしたのですが、本来そのパスに/を最後につけるのかどうか確認しないまま適当に末尾に/をつけて設定してしまっていました。それが間違いだったのではないかと思ったのですが、一度変更した設定は元がどんな値だったかわからなくなってしまったので直しようがありません、そこで一度PorticusもMacPorts本体もアンインストールしようと思い立ちました。私はシステム環境設定パネルのほうにAppTrapという、アプリケーションバンドルをゴミ箱に捨てたときに関連ファイルを自動的に探し出してゴミ箱に入れてくれるというソフトを前々からインストールしていましたので、それを使って設定ファイルを捨てて、まっさらな状態から設定ウィンドウを見てPorticusの設定に/がデフォルトのパスでついているかみて設定し直そうと思ったと言うことです。

MacPortsのアンインストールは基本的にMacPortsのディレクトリを削除するだけですが、その前にMacPorts内のデーモン系のソフトを停止させたりしなければいけないWikiに書いてありました。一応やってみたのですが、私がコマンドを打ち込んでみるとどうもMacPorts内のデーモンは一つも動いていないとの表示で、その必要はなかったようです。Porticusは先ほどの方法で削除しました。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

ラベル:GTK Porticus AppTrap
posted by whitecaps at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | コンピューター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

Hydrogenインストール玉砕記(3)

この記事は前記事の続きです。

MacPorts登場!

――で、いよいよMacPortsの登場です。Linuxをインストールできないなら、Mac上でソフトをインストールすればいいと。もちろん先ほどのアプリケーションバンドルは動かないことがわかっているので、MacPortsとかでインストールしようというわけです。しかし、先ほども書いたとおり、起動ディスクは完全に一杯です。1GBあるかどうかという感じだったので、起動ディスクにインストールするわけにはいきません。MacPortsはソフトをインストールしていくとかなりな容量を食うからです〈MacPorts容量の壁〉。昔Inkscapeコンパイルしようとしたときにこれでかなりな痛手を負いました。そこで外付けハードディスクにインストールできないか考えました。

しかしインターネットを探してもどこにも外付けハードディスクにインストールしたという話はありません。インストール先を変えるというのがあまりにも当たり前に知っていていいような情報だからか、それとも外付けにインストールするなんて考える人がいないからなのかはわかりません。しかし、私は外付けにインストールしなければいけませんでした〈外付けインストールの壁〉。

まず環境変数をいじってみたのですが、これが私にとってはとても注意のいる作業でもありました。$をパスの前につけるとどういう意味なのか、パスの後に$PATHをつけるのとつけないのではどう違うのかさえ今でもわかりません。パスは左側から優先度が高いらしいので、外付けハードディスクのパスを二本、${prefix}/binと${prefix}/sbinに通しました。MacPortsはインストーラーを使うと規定のパスにしかインストールできないので、MacPorts自体はソースをダウンロードしてコンパイルしたのですが、なかなか希望のパスにインストールされず、すぐルートパスから/opt/localで入ってしまいます。いろいろ試した結果、MacPorts本家のサイトに載っていた、configureのhelpの見方を見る方法で解決しました。それはconfigureの段階でインストール先を指定する方法です。図書館で借りた書籍「Inside Linux Software」には当たり前のように載っていましたが、私は知りませんでした。このとき${prefix}/と指定してインストールしたのですが、これがあとあと問題になります。本当は${prefix}のようにスラッシュを後ろにつけないようにしなければいけなかったのですが、つけてしまったのです。

とりあえずMacPortsは希望のパスにインストールされたので、早速Subversionを入れてみました。MacPortsを使っていて不満なのは、ソフトのインストールにとても時間がかかると言うことです。ソースファイルをダウンロードするのでさえ時間がかかるのですが、ConfigureやBuildingでもかなりな時間がかかります〈MacPortsのPortインストール時間消費の壁〉。Inkscapeのサイトには「Grab a cup of coffee」(コーヒーカップを片手に)などと書かれていますが、コーヒーカップなどという短いものではありません。それこそ何時間、私のiBookのような機体では時には一眠りしていいくらいかかります

話は変わりますが、私のように家族がいるところでMacを使う人は常にセキュリティーの問題があります。MacPortsは先ほども言ったとおり時間がとてもかかるので、Macを常に起動された状態にしておかなければならないのですが、インストールのために管理者アカウントで作業をすると安全性に不安があります〈アカウントセキュリティーの壁〉。ただしこの問題は解決可能です。Macにはファストユーザスイッチがあり、アカウント内のプロセスを動作させたまま別のユーザアカウントに切り替えられるのです(Winにも同様の機能あり。たぶんLinuxにも)。うちは兄が最近になって無線LANを導入してくれたので、(ハブがあれば無線LANでなくても可能なのですが)、ケーブルを占有する問題も解決できました。環境設定でユーザを切り替えたときにAirMacを切にするオプションを無効にすれば、一度MacPortsを動かしたあと、大切なファイルが入っていない別のアカウントにログインしてあとはそのままほっといても問題ありません。

インストールは着々と進みましたが、それぞれのソフトのインストール時に警告が表示されました。それによるとソフトがMacPortsのファイルシステムを「ヴァイオレーション」しているとのことで、私にはその警告の意味はよくわからなかったので無視しました。あくまでも警告なので、何とか通り過ぎられるだろうと思ったのです。

そのままインストールを続け、とりあえず先ほどのSubversionのインストールは完了しました。使い方がわからなかったのでとりあえずInkscapeのコンパイル方法を記したWikiの記述からSubversionを動作させてみることに。しかし、意味不明な文字列が表示されるだけで何も起こる気配がありません。これはすぐには解決しなかったのですが、MacPorts関係の記事を見ていて問題の原因がわかりました。原因はやはり日本語が正しく表示できていないと言うこと。適切な環境変数を設定したところ、Subversionからの日本語の出力がターミナル上で正しく表示できました。さきほど何も起こらなかったのはそこでユーザーへの操作要求があったからで、適切なキーをタイプしたところダウンロードが始まりました。それにしてもSubversionが日本語化されているとは私は思ってもいず。日本語表示を可能にする環境変数はデフォルトでは最初から設定されているはずなのですが、前に環境変数をいじったときに消してしまっていたようです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

posted by whitecaps at 14:10| Comment(0) | TrackBack(0) | コンピューター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする