2008年10月30日

遅ればせながらMacBookでLeopard体験記(3)

この記事は前記事の続きです。

クイックルックでBoom!

――Leopardの目玉機能の一つがクイックルックですが、これがなんだか楽しいもので、特に画像を見るときに重宝します。ただし私にとってはテキストファイルのクイックルック表示は文字が小さめでどっちかというと見にくいですし、Webページファイルなんかも表示できる範囲が狭くてスクロールしないと全体がみられません。また、GarageBandではプレビュー用の音楽データをクイックルック用に保存できるオプションがあるのですが、これってもしかしてディスク容量食ってんのかな?と心配になったりします。

クイックルックではプレビュー用のウィンドウは同時に一つしか表示できません。大量にファイルを開く操作ミスを防ぎ、表示するファイルを切り替えやすくする配慮なのかもしれませんが、これでは画像を並べて見比べたりは出来ませんし、音楽プレビューも他のファイルを操作すると再生が終了してしまいます。まあ、結局そう言う場合はプレビューやQuickTimeを起動して使ってくださいって事なのでしょうが。【後日注:複数のウィンドウを表示することは出来ませんが、一つのウィンドウの中に複数項目を表示することは出来るようです。詳しくは[ http://tok2.seesaa.net/article/77027911.html ]を参照のこと】

Leopardのアイコンプレビューはなかなかのものです。面白いのはPDFのプレビューアイコン。ちょっと目を凝らして見てみれば、それが一枚ものなのか複数枚ものなのかがわかります。左側にルーズリーフとかでよくある感じの留め具があり、右上の紙のめくれの奥にもう一枚紙があればそれは複数枚ものです。

艶やかな

アピアランスもちょっと変化しています。Leopardのデフォルトのデスクトップピクチャは、Tigerの青を基調にしたものからAuroraという宇宙にオーロラが光っているようなかんじのデスクトップピクチャに変わりました。また、メニュー(バーではない)もTigerでは少しばかり半透明だったのが、Leopardでは完全に不透明になり、角が丸みを帯びています。シートの出る位置は(Firefoxなどではない)デフォルトアプリケーションではツールバーの下、内容との境界線の位置に変わっています。Tigerのときはシートはタイトルバーの下ツールバーの上から出ていました。

ウィンドウのタイトルバーの色が濃くなったのには理由があるそうです。Mac OS Xではウィンドウのアクティブとインアクティブの違いを主にタイトルバーの色の濃さで表しますが、LeopardではTigerよりより違いが明確に見分けられるように色の濃さの差を強くしてあるのです。ウィンドウの影のドロップシャドウもアクティブの時にTigerと比べてより強くなるようにしてあるそうです。

メニューバーはデフォルトでは半透明ですが、これは変更できます。アップルはこれを作ったとき自信を持って半透明に変更したそうなのですが、ユーザに不評で「半透明メニューバー」はオプションで選べるようになりました。

私はまだ古いバージョンのCheck Off(ToDo管理ソフト)を使っているのですが、これのメニューバーアイコンはLeopardのそれと一致しません。他のソフトのメニューバーアイコンは背景に透明を使っているのでTigerからLeopardに移行しても正しく表示されますが、私が使っているバージョンのCheck Offは背景を透明にせずアイコン画像そのままでTigerのメニューバーを模しているので、Leopardではメニューバーの一部、Check Offの部分だけTigerのアピアランス、とそうなっているわけです。まあ、最新版にアップデートすればいいだけの話なのですが。

あとLeopardではDockがやけにきれいになっています。アイコンから反射効果がかかって表示されますし、Tigerまで黒三角だった起動中表示も光の点みたいな感じになっています。ただしこれらの表示は画面下に配置したときだけで、画面横にDockを表示する設定にすると、シンプルな表示になってしまいます。(ちなみにTigerでドックのアニメーションを切りにする設定項目があることを最近になって初めて知りました。)

LeopardではTigerよりクローズボタン類も鮮やかになっているのですが、それも含めて何となく全体的に艶やかな感じがするアピアランスになっていると言えると思います。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。



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2008年10月27日

遅ればせながらMacBookでLeopard体験記(2)

この記事は前記事の続きです。

勝利のX11

――先ほど書いたとおり移行はおおむね良好ですが、整合性の問題で移行してから動かなくなったソフトもあります。

X11も移行したら動かなくなったソフトの一つです。なのでX11をインストールディスクからインストールしようとも思ったのですが、そこここのサイトで「Apple X11にはバグがある。コミュニティー版を使いなさい」と書いてあったので、コミュニティー版のほうを入れてみました。あまり使ってて違いはわからないのですが、少なくともアイコンは変わっています。X11のせいなのかはわかりませんが、Inkscapeを起動したらタイトルバーが表示されないことがありました。(←おい。)

Leopardに移行してから困ったのは、Jackが動かなくなってしまったことです。私がiBookに入れていたJackは最新版が動かなかったので少し古いバージョンを動かしていたのですが、Leopardに移行してからこれが動かなくなりました。そこで最新版に入れ直してみるも、これも動きません。Jackが動かないとArdourとかも役に立たないわけなので弱っています。

私はSmultronと言うテキストエディタを愛用しているのですが、Leopardにアップしたら検索機能の結果画面の内容が表示されなくなりました。なので今はアップデートして最新版にして使っています。現在は問題ありません。(ちなみにWebページを編集する人にはCodaというソフトがおすすめ【MAC REVIEWさん経由】です。無料ではありませんが……。)

スピードアップ

G4のiBookとIntelのMacBookですから、当然速度が違います。今普通に使っていてもiBookと比べればかなり速いのですが、箱から出して設定だけして使い始めたころはあたりまえながらかなりな速さでした。電源ボタン押してからデスクトップがあらわれるまでが速い! まあ、iBookのときも買ったすぐは速くて、いろいろ使い込んでいる内に(ソフトウェアアップデートとかして)遅くなっていくのですが……。

速いというのはいいもんです。今の機種はどうかわからないですが、一昔前(私の感覚)ではパソコンを操作すると言うことは「反応するのを待つ」事と同義でした。iBookから乗り換えようと思ったのは、その待ち時間が減るだろうと思ってのことです。待たされてイライラするのが私は一番にイヤなものなので、今MacBookにしてようやくストレスの少ないパソコン体験ができています。

おもえばDashBoardなんかはTigerの目玉機能なのですが、私がウィジェットを開きすぎるせいもあってかiBookでは起動するのにめちゃくちゃ時間がかかるので使ってきませんでした。それが今のMacBookではまともな速さで動きます。また、昔から入れているNeoOfficeもようやく実用的な速さで動くようになりました。遅いのはNeoOfficeの欠点だと思っていましたが、昔予測した通りその重さが問題にならない性能を持ったパソコンが現れる時代がやってきたようです。

スピードが速いと言えばインストーラーもそうでしょうか。前は「インストーラスクリプトを実行中」あたりで長々と時間がかかっていましたが、今のインストーラーは速いです。しかもインストールが完了したら緑のチェックマークでインストールに成功したことをわかりやすく表示してくれます。ただしそのかわりディスクユーティリティーのアクセス権の修復は前と違ってとても時間がかかるようになりました。それは準備段階でデータベースを読み出すのに何分も使うようです。

VD vs. Spaces

Leopardを使っていて一番快適さを感じるのはSpacesです。私は今までTigerでマルチデスクトップを実現するためにフリーソフトのVirtueDesktops(以下VD)を使ってきましたが、Leopardにはデフォルトでアップル純正のSpacesが含まれています。

VDとSpacesの違いで目を惹くのは、デスクトップ切り替え時のエフェクトです。VDではデスクトップを切り替えるときは画面の全部が移動していました。つまりメニューバーやドックやデスクトップピクチャも画面と一緒に移動して、もう一度移動先のデスクトップとして現れるというものだったのです。しかしSpacesは違います。Spacesで動くのはデスクトップ上のウィンドウだけなのです。中身だけ動くので何となく目がちらちらしませんし、スムーズです。ちなみにこの中身だけ動くエフェクトは、LinuxのKDE4のComposite Effectsにもあるようです。

VDではデスクトップの切り替え後、一定時間経ってあらわれた前のデスクトップのアプリケーションのシートが、現在のデスクトップに表示されてしまうと言う問題がありました。Spacesではこれらも改善されます。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年10月24日

遅ればせながらMacBookでLeopard体験記(1)

dialog-warning.pngこの記事で扱っているMacBookとは、先日(10月28日現在)発売されたばかりの新型のMacBookのことではなく、現在下位機種となっているホワイトモデルのことです。

はじめに

先日も書きましたが、私は最近になってようやくインテルMacを手に入れました。前々からiBookの反応速度には不満があったことや、ハードディスクがデータでいっぱいになってしまっていたことなどの問題があったので、ついに買い換えることにしたのです。そしてもちろん今のMacBookにはLeopardが入っています。そこで今回の記事ではiPhoneに湧く世間を横目に、遅ればせながら「MacBookでLeopard体験記」みたいなことを書いてみたいと思います。

画面が広い!

MacBookの画面を見ての最初の印象は、なんとなく広い!と言うことです。いや、実際は何となくなどではなく確実に広くなっているのですが、そこまでは最初は思いませんでした。しかし今iBookを開いてみると、全然広さが違うということが実感できます。思えばiBookのキーボードが筐体の横幅全体を使っているのに対し、MacBookは左右を含めて余裕があります。これも液晶が広くなったから本体もそれに収まるように広くしたということのあらわれなのでしょう。あとiBookと比べて実感するのはその厚さです。こちらも何となく違うなあ、と感じてはいたのですが、今iBookを使ってみるとそれがとても厚いことに気づきます。MacBookはスリムになっているんですね。

スムーズな移行

私は今回、Macの移行機能を使って、iBookからMacBookへとデータ移行を試してみました。使い方の詳細は他に譲るとして、結果どうだったのかの感想だけ触れてみます。それは一言で言えば「スムーズ」と言うことです。移行したら設定ファイルに不整合が起こってトラブル続出なのかとさえ思っていたのですが、全然そう言ったことはなく、ただ単純に今までの設定通りで新しいソフトが動きました。私は移行したら古いソフトのデータで新しいバンドルソフトが上書きされて消されてしまうのではないのかとも思っていましたが、それも心配無用でした。バージョン情報を参照しているのか、ちゃんと新しいソフトは残りました。

ネット上で聞いていて、実際どうなのかとも思っていたことにXcodeの移行がありました。ネット上のブログではXcodeは移行されないと書いてあったのですが、ほんとにそうでした。なぜ移行されないのか、それにはシステム上の理由があるのかは知りませんが、どっちかと言ったら移行できるようにしてくれた方がうれしかったです。でもインストールディスクからインストールし直せたので、実際上はあまり問題はありませんでした。

ユニバーサルバイナリに安心

よくMacのオンラインソフトで、ユニバーサルバイナリのPPC用とIntel用のバイナリデータのうち要らない方を削除してディスク容量を稼ぐというソフトがありますが、私はそれは使ってきませんでした。これはちょっと助かったなと思うことで、移行機能を使って移行したあともほとんどのソフトはちゃんと動きました。

ただ、動かないソフトもありました。なんとAdobe ReaderがPPCバイナリだったのでこれは使えず、NeoOfficeもそのファイル容量の大きさからアーキテクチャごとに分けて配布されているのですが、もちろんこれもPPCのままだったので使えませんでした。NeoOfficeを起動させたときに、「ロゼッタが見れるのか!」とわくわくしたのですが実際は動かず、どうもロゼッタというのはあまりにも古い話題すぎてとうの昔にインテルMacには搭載されないようになったようです(失笑)。

おまけ情報ですが、MacPortsのデータはアーキテクチャに依存するので移行されても(とりあえずデータは移行されるらしい)使えず、結局削除するしかないようです。使う人はもう一度インストールしなおさなければいけません。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年10月21日

短編小説『公園の恋人達』

短編小説第4弾。これから来る季節、冬がテーマです。

この小説はEXILEの歌『Lovers Again』にインスピレーションを得て思いついた作品で、去年の冬から企画をあたためてきました。記述を書き上げるのは難航するかなと思ったのですが、なんとかうまくまとまったのでホッとしました。

ほんとはパソコン関係の記事を載せたかったのですが、最近ものぐさで記事を書きためてないのでショートショートに引き続いてまた文芸ものです。

ラベル:小説 文芸
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2008年10月20日

ブログデザインを変更しました。(08.10.20)

ブログデザインを変更してみました。

あたらしくMacBookを買ったのでスクリーンが広くなったのですが、そうしたらブログの横幅も広げられるかなあと思って、前から考えていたので変更してみました。問題があったらコメントお願いします。

LeopardのSpacesは快適だ……。
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2008年10月19日

詩『憧れ』

憧れることこそが夢を叶える原動力だと
僕はそう信じている
憧れて、追いかけて ヘトヘトになって
そんなときに、夢に一歩近づいたことに気づくのだと思う

ほんとにこんなんでいいんだろうか
突然不安が襲いかかって立ち止まったりもする
自分は何がしたいんだ? どう生きるべきなんだ?
自分の使命ってなんなんだ

うまくできたと思った歌も
うまく撮れたと思った写真も
まだまだなんだ、こんなの消しカスだって思ったり
昔書いた文章を、読み返してみて嫌気がさしたり
さんざん悩んだあげく
ビリビリに破り去って、クズかごに突っ込んだり

いつも超強気。でも時々ちょっと弱気。

シナリオっぽく成り立っても
真実はそれを許さない
でもだからこそ間違った道を選ぶことなんてないんだ

このホシに人間として生まれて
全ての苦しみと喜びを分かち合い
人間のさがに泣き笑い
そして一瞬の夢を共にして 死ぬために生まれてきた

どうか、君よ憧れることだけはやめないで
迷い彷徨い、歩き続けることだけはやめないで
きっとその先に道はあるから
きっとその先に未来は待っているから

憧れから、君は始まるんだ。

■(2008.4.24)

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2008年10月16日

ネットからのオンラインソフトダウンロード方法(PDF版、初心者向け)

ずっと前に載せた記事『ネットからのオンラインソフトダウンロード方法』のPDF版を作ったので一応載せておきます。ネットサーフィンの知識は持ってるんだけど、ソフトのダウンロードとインストールはどうやってやるのか具体的には知らないという人向けの文書です。

実際のところオンラインソフトをダウンロードするのにはネットサーフィンの知識は必要なので、PDFにして印刷しやすくしてもなんの意味もないのですが、学校の部活動用にNeoOfficeでいろいろこだわって作ってみたのでせっかくだから載せることにしました。

この文書では途中私の独断的志向でオープンソース・ソフトウェアについてすこしばかり詳しく触れています。

PDFミニアイコンオンラインソフト入手方法PDF(初心者向け)
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2008年10月14日

ショートショート『燐と未来』

久々のショートショートです。また燈項会にネタを助けられました。燈項会、しぶといです。真面目に読むと損します。

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2008年10月12日

人はどこまで護るべきか(4)

この記事は前記事の続きです。

――ところで、受験だとか就職試験だとか、これらは人を選別するものに他なりません。あたりまえといえばあたりまえですが、これらは自分たちの組織にとって有用な存在を採用するために必要で重要なプロセスです。しかしこれらに合格しない人たちはどうすればいいでしょうか。もちろん彼らだって怠慢な生活を送っていたからこうなったわけでもありません。でも才能がないとか、頭がよくなかったとか、勉強に身が入らなかったいう理由で切り捨てられるのです。人によっては何かしらのハンディを持っていてそうなったという人もいることでしょう。

ここでは勉強を例にとりましたが、人間は常に何かしらの「評価」の中で生きています。それは社会や人間が与えたものに限らず、ただたんに人生というものを送っているだけで常に問われる物理的で自然な障壁です。人間が持っているこれらの障壁を越える能力は、決して万人に同様に与えられているわけではありません。女性シンガーソングライターであるYUIの歌から言葉を借りれば、「平等なんかじゃないよ」ということです。軽々とこなす人がいれば、人によっては障壁を乗り越えられないこともあります。

実際世の中にいるこういった(誤解を恐れずにいえば)「弱い」存在に対して社会はどういう対応をとればいいのでしょう。(この問いは私も弱者の一人であるという認識の上に投げかける疑問です。)社会は進化論を持ち出して、これらの弱い存在を選別し、淘汰されるべき存在だと識別するでしょうか。

淘汰されるべきと捉える考え方は、段階的解決法に近いかもしれません。自分の種を存続させるのに必要ない弱い存在は切り捨てる、と言う考えです。本来人間は生物なのですから、こういう対応をとるのが自然なのです。(ただし段階的解決法においてでも、いわゆる弱い存在が時には強い存在の役に立つことはあると言うことを見越して、護ろうとする判断もありますが。) しかし、なぜかこの現代社会ではこれらに当てはまらない人間の心理や行動もよく見られます。これらは、基準分割解決法のような考えです。どんな弱い存在でも、人間なら、命なら護られるべきだ、ということなのでしょう。基準分割解決法は夜空認識に通じるところがあります。つまり、「魂まで護る」という考え方です。

私はずっと個人主義というものが好きで、全体主義というものは好んでいません。ただ、前述のように人間を一人一人で分けて見るのみではなく、共同体としてみることも出来るのだと最近になって気づきました。それは何かの組織や企業でも同じです。何か一つのことを成し遂げるために構成員が役割分担をして全体が一つの機構となる、それ全体で一つの命であるとみなせるということです。

ちょっと話を変えますが、私の中に「ヒトラーの首」と呼んでいる理論があります。父親がサスペンスドラマをよく見るので、私も聞き流す機会がよくあるのですが、それを見ていて私はこう思うのです。「絞殺ってよく聞くけど、どうして人間は絞殺されうる形態をしているのだろう。自分を生かし、子孫を残すためには首の周りを完璧に硬い組織でガードして、絞殺されないように進化した方がいいはずなのに――。」

それに対する私の結論はこうです。「人間はわざと殺されやすく進化している」。なぜか考えてみてください。ヒトラーはユダヤ人虐殺を行いました。そしてその行為は人類の存続に対する一つの脅威だったのです。ヒトラーの最後については皆さんご存じの通りですが、もしヒトラーが絞殺で殺されていたとしたら? つまり人間という種はある個体が暴走したときに、他の個体によってその個体を抹殺するための方法を残しているのです。それが「自分に近いものを守る」、つまり「共同体を守る」という本能の対象を広く持ったときの生物の性質の表れです。命を捨ててでも誰かを守ろうとする人がいるのは、その人が死ぬことによって誰かが助かる、種の存続に貢献するという法則の表れなのです。

これまでの人間の歴史をみてみると、初めは民族ごとにいがみ合っていたものが現在では国際平和などとまで言われるように人間全体が一丸となるように変わってきました。これは文明が発達し豊かになると護れる対象が増えることを示しているのかもしれません。

長くなりましたが、以上が「人間はどこまで護るべきか」と言った命題に対する私なりの答えとそれに関連する事柄です。皆さんも、自分は段階的解決法と基準分割解決法のどちらの考え方で行動しているか(あるいはミックスされているか)、考えてみてください。

■(Date Unknown)

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2008年10月09日

人はどこまで護るべきか(3)

この記事は前記事の続きです。

――では人間がとれるこれらの理論に対する解決策はなんでしょう。人間はどこまで護ればいいのでしょうか。そのアプローチは二つあります。

一つは「段階的に護る」ことです。つまり自分に近い存在から重要度をランク付けして護っていくと言うことです。たとえばそれは「まず第一に自分を護り、その次に家族を護り、次に親戚を護り、友達を護り、地域を護り、次に国を、そのまた次に民族を護り、人間を護り、動物を護り、生物を護る」と言った具合にです。順番こそ違うかもしれませんが、こういった認識は無意識のうちに誰の中にでもあると思われます。

二つ目は「基準で区切って護る」ことです。たとえば「人間まで護る」または「動物まで護る」、「命まで護る」と言った具合です。この解決策では基準に適合した対象は全て平等に護られることになります。今はそんな人はいないのかもしれませんが白人至上主義者の人なら「白人まで護る」と言うでしょうし、古代アテネの市民なら「市民まで護る(奴隷は護らない)」と言った具合になるでしょう。ただし啓蒙思想にせよなんにせよ、平等というものはあくまでもどんな時代においても対象内が平等なのであって、対象から外れる存在は置き去りにされていると言うことを忘れてはなりません。また、自分が含まれる対象範囲を平等に護ると言うことは、自分自身がその思想によって護られることでもあります。この場合、誰かを護ろうとするのは、自分を護ろうとするための無意識のうちの感情だとも言えるということです。

日頃社会生活を過ごしていてこういった理念があると言うことに気づかないのは、この「どこまで護るか」と言ったことがその場の感情や当人の直感で決められたり、社会が暗黙の基準をそこに暮らしている人たちに与えているからでしょう。誰だって村八分にされるのはいやですし、もし10中自分以外の9人がそうだと言えば自分も「そういうもんだろう」と思うものです。

基本的に人間は同じ共同体の中で生きていると同化します。国と言う単位はそのいい例です。同じ共同体の中で生きていると言うだけで意見まで似てきて、別の共同体に所属していると言うだけで憎み合ったりすることもあります。

「オリンピックは国同士の争いではない、選手同士の闘いなのだ」と言う言葉があるそうですが、オリンピックは誰がどう見ても観客から見れば国同士の戦いです。テレビでも選手名の近くには必ず国旗のマークが表示されますし、日本人がメダルを取ったと言えばテレビのインタビューに答える人はそれを褒め称えます。例えその人が全くその選手と知り合いですらなくてもです。これは日本という一つの共同体の一員としての感情です。つまり「仲間がメダルを取った!喜ばしい!」ということです。

私は同じ人間ならば民族の違いなどなんの意味も持たない(もっとも私なんかは外国の人にはどう対応したらわからないので実生活では関わろうとしないでしょうが)、国をまたいでも住んでる場所が違うだけで海外のニュースももっと見たいし、家族だから特別になんとかだとか、コネを使って就職とかいう意見はあまり好きではありません。また、これは個人的好みですが、とりあえず民主主義ならどんな国でも敵でないし、宗教もとらわれたくない(てか無宗教の方がいい)と思っています。

しかし、それらにこだわる人たちもいます。相変わらず民族紛争は続いているし、宗教観の外部内部を含めた対立、過度のナショナリズム、会社内の派閥争いなどもあります。私はこれらの考えには与したくないですが、ただ、それらは先ほど述べたとおりに生物の理念としてごくごく自然な行為とも言えないわけではありません。

資本主義は段階的解決法、共産主義は基準分割解決法だと言えるかもしれません。資本主義で各個人が貯めるお金は各個人やその家族のために主に使われます。共産主義では国民という基準内の対象はみんな同じ待遇です。(理念がそうであると言っているだけで実際にそうであるかどうかは言ってません。) ハッカー倫理では「情報は共有されるべき」だとされています。これは全てのネットユーザーが平等であるべきという考えともいえるでしょう。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年10月07日

詩『ヘリウム飛行船』

夕焼けの駅前を歩いていると、君からのメール
いつものことが書かれているだけで 何も特別なことないんだけど
途中でなぜか昔僕が打ったことを思い出してさ ちょっと調べてみたんだ

〜〜〜

君と出会ってまだすぐだけど もう定期買って乗ってるみたいさ
君を見つけるのは困難だと思ったけど 改札前で約束すれば確実かな
君は手もふらず無言で頷いて そしてついてこいと言わんばかりに
別の方向へ歩き出すんだ それも君らしいね

君がさりげなく浮かべる表情の一つ一つの意味を知りたいなあ
きっとそれが君の心の内側に繋がってるから
そして僕が涙を目に溜めるところを君は黙ってみていられるだろうか
きっとそれが僕の心の内側から繋がっているものだから

君が知ってることを僕が知らないのも 僕が知ってることを君が知らないのも
なんかお互い釈然としないね きまりが悪いね
すれ違ってばかりいる恋人みたいじゃないか
え、そんなんじゃない? ――僕もそう思う

風のない海面に波が立つのを何でか知ってるかい?
僕が今まで積み重ねてきた たくさんの古くてくだらない話を君に聞かせたいなんて思ってる
それが人づてでも 未検証でも どっかの本や新聞やテレビに出てたことでも
君がそう理解してくれていれば どんな怪しい話でも笑いの種になる

どうでもいい呟きで、なりきったセリフで 君を戸惑わせてみたいなあ
そんなくだらない欲求も 君が人にはしゃいで話してくれたらうれしかったりする
理解できない提案をしても 悪い顔せずについてきてくれたらいいのに

後ろ姿から君を見つけようたって
君がいつもの髪型を変えたら どんなに近くにいても気づかないだろうなあ
でもいつもあの髪型の君だから いつだって君のままでいるような気がして
まあ、そんなの君の好み次第だけどさ

風に髪なびかせる君はカッコよすぎるから 例えそれが昔の写真でも手に取ってしまう
僕の方を向いてなくても 君の心が僕を忘れてなければいいや
あとにでもこっちを向いてくれれば それだけで僕の胸は色めき出す

移り気な僕が君への思いを冷まさないように いつでも新しい君を探していたいな
何かに不意に衝撃を受けて あわてて靴はいてとびだして行かないように
え、いいじゃないかって? でも、そうは言ってくれても忘れたくないんだ
そして移り気な僕がまた、前みたいな君への思いを再び覚まさないように

くだらないことでからかったりさ 僕が至らないせいで君を傷つけたり
そんなことは絶対にしたくないんだ そのことを僕は忘れてはいけない
僕は君の幸せに責任を持つから 君の生きるこの世界を支えたいから
君には僕のことを信頼してほしい そう約束するから――

〜〜〜

もう一度最後まで君からのメールを見てみる なになに、夕立に気をつけてね
あと、駅前のスーパーでキャベツ買って来といてね じゃないと家に入れないから
わかったよ、買ってくるから……→[送信]。

茜色の空には遠く飛行船が浮かんでいた。

■(2008.9.5)

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2008年10月06日

アンテナアーカイブ08.6.12〜10.4

アンテナの記事がたまってきたので、エントリーとして掲載します。本体のほうはリセットします。これらの記事には最新の状況に合致しない古い情報が含まれている可能性があります。

図書館戦争……フジテレビ系列で放送されていた、有川浩の小説を原作とするアニメ作品。2019年、「メディア良化法」(検閲の合法化)が施行された日本では、図書館が言論弾圧に唯一対抗できる存在となっていた。図書館は図書館の自由を守るために武装し、良化機関との永きに渡る抗争に突入するが、この作品ではその図書隊に入隊した主人公の笠原郁と図書隊の仲間を描く。架空の法律が施行された現代という世界設定からパラレルワールドをあつかった作品といえるが、恋愛小説的な要素も多分に含んでいる(Wikipediaより一部編集)製作はProduction I.G。(2008.9.15→10.4)

テレパシー少女蘭……NHK教育テレビで土曜日の6時半から放送されているアニメで、あさのあつこの小説『テレパシー少女「蘭」事件ノート』が原作。テレパシー能力を持っている主人公蘭とクラスメートの翠、蘭の彼氏的存在の留衣や兄の凛などと共に身の回りに起こる事件を解決していく。個人的には小説的なノリがアニメに合ってない場面もあるような気がするが、オープニング映像はとても気に入っている。エンディングのメロディーラインもすばらしい。(2008.9.15→30)

手紙 〜拝啓十五の君へ〜……女性シンガーソングライターのアンジェラ・アキの歌。十五の自分と大人の自分のメッセージのやりとりをイメージした曲になっている。今迷いの中で青春を生きる人に是非聴いてもらいたい一曲。NHK全国合唱コンクールの課題曲になったほか、現在NHKでみんなのうた化され、放送されている。ちなみにその映像は時期ごとに二種類ある(2008.9.7→19)

夕風ブレンド……スキマスイッチのアルバムの一つ。愛の切なさを歌った『藍』、前このブログでも紹介した『ズラチナルーカ』、国語に関わる人なら何となく分かる『糸ノ意図』、ルパン3世を彷彿とさせる『アーセンの憂鬱』などを収録している。グレイテストヒッツを持っている私としては、いくつか重複して収録されている(album ver.)の曲はもっと大胆なアレンジがほしかったが、『惑星タイマー』の(album ver.)のみは通常バーションとかなり違うアレンジでよかった。リンクはアマゾンへ。(2008.9.7→16)

Jack……Linux系のオーディオサーバーソフト(というんでしょうか)。それぞれの機器や音楽系アプリケーションのソフトウェア的な入力や出力の接続方法を設定できる。Mac OS X版もある(Jack OS X)。このソフトを使うとたとえばマイクに向かって歌いながらリアルタイムに自分の声をイヤフォンで聞いたり、Tuna PitchにiTunesの音をつなげてiTunesで流している音の英語名を知ったり出来る(ソロでもなければ正確には捉えられないですが)。(2008.8.11→9.8)

BLEACH傑作選!……テレビ東京系列で月曜日の夕方5時半からやっているBLEACHの再放送。8月4日現在はちょうど懺罪宮のところで一護と朽木白哉が相向かうところ。思えばBLEACHが一番輝いてたのってこの頃だったと私は思う。エンディングの"happy people"のRemixも懐かしい。自分もこの頃は若かったな……。本線のほうはまだまだ続きます。(2008.8.5→11)

Photoshop Express……Photoshopを開発しているAdobeが、Betaとして行っているPhotoshopのWebアプリケーション版サイト。PhotoshopのWebアプリ版の可能性については以前からいろいろ噂がありましたが、私は最近になってこのサイトが実際に運用されていることを知りました。ただやっぱりサイトはFlashで、オープンなAjaxファンの私としてはちょっと残念な気も。ちょっと動作がもたつきますが、基本的に快適な使用感が得られていると思います。現在は英語版のみですが、Flickrなどのフォトストレージと連携する機能もあり。(2008.7.8→)

WWDC 2008 Keynote……(MAC REVIEWさん経由)アップルのサイトで公開されているWWDCの講演収録ムービー。主に今度売り出されるiPhone 3Gに関する内容になっている。iPhoneの開発リーダーの人が大部分の講演をし、ジョブズは補足役にとどまっているようだ。【後日注:開発リーダーでなく上級副社長だそうです】個人的にはiPhoneで簡単な楽器を演奏できるアプリが気になった。他にもiPhoneで使えるアプリが多数紹介されている。iPhone用の縦書きテキストビューワーとか、そのうち出てこないかな。(2008.6.30→7.8)

Regret Linux……LinuxライブCDの一つで、音楽関係のソフトが多数収録されている。どうも組織ではなく個人で作っているようだ。最新版は収録ソフトの大きさの関係でDVDになっているので、焼くのにDVD書き込み可能ドライブが必要。収録されているソフトとしてはJack、マルチトラックレコーダーのArdour、MIDIシーケンサのRosegardenやドラムマシンのHydrogenなどが挙げられる。DVD書き込みドライブほしいよ……。(2008.7.3→)

iPhone 3G……アップルの携帯電話機能付きのiPod風モバイルインターネットデバイス(……ようは三つが統合されてると言うことです)。いつ発売なのかやきもきしていましたがついに7月11日に日本でも発売です。Microsoft Exchange ActiveSyncに対応して、エンタープライズ的にも活用できます。またApp Storeからアプリケーションをダウンロードすることも出来ます。私もほしいけど……、お金無い。(2008.6.12)
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2008年10月05日

人はどこまで護るべきか(2)

この記事は前記事の続きです。

――たとえば黒人を奴隷として使っていた昔のアメリカ人は、例え同じ人間であっても黒人を自分たちと同じ人間だと認め、自分たちと同じように保護されるべき対象として考えていませんでした。9.11テロを起こしたテロリストは、アメリカ人のことを敵視していますし、自分たちと同じ護られるべき人間であると思っていません。世界で多発する民族紛争ではお互いが互いの民族を拒絶し、その民族は相手の民族を自分と同じように保護されるべき対象だと思っていません。

ここで言う「護る」とは、そこに命や生活を保つための何かしらの権利があると見なすと言うことです。日本国憲法の生存権なんかを想像してもらえればいいかと思います。学校の世界史の授業で習った内容に「カノッサの屈辱」というものがありますが、これは中世のヨーロッパにおいて、絶大的な権力を持つ教皇に対して反抗的な態度をとった王が破門され、破門を取り消して貰うために王が教皇の前で土下座して謝ったという話だそうです。なぜそこまで破門を怖がるのかというと、それは「破門」ということが、当時のキリスト教が広まっている社会において「おまえはキリスト教徒ではない。まともな人間ではない。誰かに殺されても何も文句も言えない。誰もおまえの権利を認めない」と言う意味を持つからです。つまりここで言う「護られない」ということです。

基本的に、人間は自分と何かしらの要素が同じまたは近い存在を護ろうとします。これはどうしてでしょう。

私が昔ブログに書いたことなのですが、「なぜ生物は生きようとするのか」ということを題にして記事を書いたことがありました。人間が喉が渇いたら水を飲もうとするのは、腹が減ったら食べ物を食べたくなるのは、生きようとするために他なりません。例えそれらを用意するのに働いたり苦痛を感じたりしなくてはいけなくてもです。そして、その答えはこうでした。

「生きようとする生物と生きようとしない生物が偶然現れたとき、生きようとしない生物は生き続けることが出来ず死に絶える。生きようとする生物は生き残り、世界には生きようとする生物だけが残る。と言うことは世界に現存する生物はすべて生きようとする生物だけになるので、生物はどれでも生き残ろうとしているように見える。」

生物がその姿を長きにわたってとどめるには、子孫を残すしかありません。もし自分とは似てもにつかない生物を護ろうとするような個体が現れたとき、その個体は自分の子孫を残せず、死に絶えます。自分の子孫、または自分に近い生物を守ろうとする個体は、自分に似た個体を残すため、種は生き残ります。つまり、自分に近いものを守ろうとする生物だけが世界に残ることになり、必然的に生物は自分に近いものを守ろうとするようになっているように見えるわけです。これは人間でも同じ事です。

民族であれ国であれ種であれ地域であれ血縁関係であれ家族であれ、そして人間のみにおいて確認できるできる宗教やイデオロギーとか何とかであれ、それらに所属する人はその共同体を守ろうとします。それは自分に似たものを守ろうとしているからです。それはさっき言ったように、生物の基本的な行動理念なのです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年10月03日

人はどこまで護るべきか(1)

dialog-warning.pngこの記事では冷徹かつ客観的な見方をするために、さまざまな政治的な意見をそのままとり上げています。whitecapsの主義主張がそれらに含まれているわけではありません。

あなたは、捕鯨問題とか、犬食問題について知っていますか? 捕鯨問題はもう長い間世間一般で考えられている問題ですし、私も最近犬食についての記事を新聞で読みました。捕鯨問題では鯨の絶滅を防ぐというのが捕鯨反対派の主な理由ですが、人によっては「鯨はほ乳類で賢い動物だから殺してはいけない」と言った理由で反対したり、犬も「あんなにかわいいペットである犬を食べてしまうなんて可哀想だ」との理由で犬食に反対する人もいるとのことです。韓国では伝統的に犬食があり、固有の文化として根付いているそうですが、W杯の時にはそれに反対する行動が起きて、犬食派と反対派で対立が起きて、店が犬料理を出すのをやめるという事態になったこともあったそうです。

しかし、です。鯨や犬は食べるのは可哀想でも、豚肉を食べるのが可哀想だという人はあまりいません。豚だって屠殺されるところなんて見たくないとその人たちも思うでしょうが、でも豚肉を食べること自体は抵抗感はないのではないのでしょうか。豚と鯨、犬の間には一体どんな違いがあるのでしょう。さっきも書きましたがそれは、捕鯨反対派の人は鯨が「賢い」から、反対するのです。犬食反対派の人は犬が「かわいくて」「ペット」だから反対するのです。彼らにとって、「賢く」なかったり、「ペット」でなかったりするものは保護の対象ではありません。だから豚は保護の対象ではなく、食べても問題ないのです。

人によっては、「豚だって殺して食べちゃうのは可哀想」と思う人もいると思います。それは「豚だって痛みを感じる動物だから」と言う理由です。ベジタリアンと呼ばれる人たちがいますが、彼らは鯨や犬などに限らず動物の肉はみんな食べません。これは動物が「痛みを感じる動物」であるから食べないという方針です。この場合「動物」でない植物などは保護の対象ではありません。

人間だって何かしら食べないと死んでしまいますし、植物を食べるのが可哀想だという人はあまりいませんが、大人は子供が木に棒をたたきつけて遊んでいたら怒ります。特別な例ですが、樹齢がかなり高い桜などの老木を守ろうと活動している人たちもいます。植物も保護の対象にはいることがあるわけです。

よくテレビなどで「命を護る」という言葉が使われますが、この場合ダニは命にはいるでしょうか。ダニは私たちの足元にウジャウジャいて到底踏みつぶすなと言われても叶いません。まるで蚊を殺すなと言う犬公方のような判断です。

ここで大事なのは「どこまで護るのか」と言う基準です。捕鯨反対派は自分たち人間を含めたほ乳類という範囲を守ろうとしています。犬食反対派はペットまで含めて守ろうとしています。ベジタリアンは「動物」と言う範囲まで守ろうとします。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年10月01日

ディベートチャートの作り方

前このブログで『敵対的ディベートのスゝメ』と言うコラムを書きましたが、今回はその時触れたディベートの議論の内容を図示する方法について描きたいと思います。

ディベートの内容を図示することにはどんな意味があるでしょうか。それはともすればヒートアップして混乱しがちな議論を客観視し、大綱をつかむのに役立ちます。議論の構図がわかればより正確に、そして深い議論を行うことが出来ます。そしてそれはどちらの意見が優位なのか、次何を議論することが求められているのかまで明らかにします。

一般にディベートは意見と意見のぶつかり合いですから、大抵の人は図示するために中央に縦線を引き、その左右にぶつかり合う意見を書き並べることでしょう。しかしこの方法は実際のところ議論を整理するのには役立ちません。それはこの方法では「理由付け」というものを表す方法がないからです。

ディベートでは確かに相反する意見を扱いますし、それを図示することは必要です。しかしディベートでもっとも行われる思考は「理由付け」です。それぞれが自分の意見が正しいと言う理由をつけならべていくのです。理由はさらに理由によって理由付けされ、階層になっていきます。

と言うわけで、ディベートを図示する方法では「反論」と「理由付け」の二つのつながりによって表されます。私は一時期は階層型の文字列を矢印や線で結んだようなチャートを使っていました。

そのチャートでもいいのですが、よりベストなのは以下のようなチャートです。このチャートでは一つの意見が二つ以上の意見の反論や理由付けになっている場合でもまとめて図示できます。また、見やすいですしね。黒板に書くときは色を分けて使いましょう。

ディベートチャートのサンプル
クリックして拡大


この例では夫婦別姓制度にかんするチャートを作ってみました。自分の頭の中で勝手に作ったものなのでツッコミ所満載かもしれませんが、ご了承を。ちなみに私はこの議題のディベートを中学の時行ったときは、賛成派に入りました。なのでひいき目ですね。気にしないでください。

実際のディベートをリアルタイムに図示するときは、全ての意見を網羅して書くことは難しいでしょう。なので、大綱を図示するだけで満足することが必要になるかもしれません。あくまでも議論を整理できればいいので、ここは妥協するところです。以上がディベートを図示する方法でした。

■(2008.9.30)

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