2009年01月31日

『愛を胸に、本を守る。』図書館戦争自作ラフビジュアル

学校の文化祭の部活動展示で展示させていただいた絵です。ショートショート『燐と未来』のインスピはここから生まれました。

図書館戦争自作ラフビジュアル


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2009年01月25日

詩『foobar』

※『Jack 'n Ardour』はお休みです

深夜のバーでタバコにやけ酒
あなたは間違ってるって言われて
いつもと違う真面目な君にさ
そして君は一人傘の中去っていった

グラスが並ぶ ピッチャーの斜め前のカウンター席
君と飲んだのもこの席だったはずなのに
なんでさ…… 努力はいつも報われないまま
とっくの昔のジャズのレコードに合わせて
鼓動が波打つ

こんまま酔いつぶれて、寝ちまうんだろうか……

甘えも強さも全て混沌の中に消えていく
欲望も何もかも巻き込んで
舌打ちしたって変わらないんだよ
思い出も情けも闇に溶けていく

わかってるよ、僕が悪かったんだって
自分の頭のハエも追えない僕なのにさ
遠くに浮かぶ雲ばかり見てた

帰るタクシー代も用意してないのに、
雨の中来たこの店に潜り込んだ僕
そうさ、雨の中だったよ……

君にあんなこと言ってさ
自分が一番君のこと思ってるって、でも
昔の君ばっか見てさ
ほんとは君のこと何にもわかってなかったのは、僕なのに

ああ、だからどうか君よ、迎えに来てくれ
僕が眠ってしまう前に……
この街に降る雨の中を一人歩いて……

Ah ああ……

■(2009.1.15)

スキマスイッチの『螺旋』をきいてこんな感じの詩も作ってみたいなって思って作ってみた詩です。

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2009年01月16日

簡単にいかないから生きてゆける

普通に暮らしている限りそんな考え方を思いつくことはないのですが、私の中には「無限の快感理論」と呼んでいる理論があります。人の感覚というものは、実際その人がその人の感覚器で感じている周りの状況やそれらを総合判断した感情によるものですが、もし感覚そのものと周りの環境とを切り離して考えたとき、どういった考えが出来るのかという話です。この理論はいろいろな世間の外部理論から成り立っているので、それも含めて紹介していきましょう。

ハリー・ポッターを読んだことがある人は知っていると思いますが、ハリー・ポッターには「服従の魔法」というものが出てきます。服従の魔法とは文字通り術を掛けた方が掛けられた方を思い通りに操ることが出来る「禁断の魔法」なのですが、このとき術を掛けられた方は、「ふわふわとした幸せな感情」(って感じの表現だったと思う)に包まれて操られてしまうのです。

ここで出てくるのが無限の快感理論です。服従の魔法ではその人が実際何をやっているかにかかわらず(仲間を殺してようが、ハリーと闘ってようが)「幸せな感情」に包まれます。つまり理論上は、その人の幸福感(つまり快感)と周りの状況が関係を持たない場合も考えられるわけです。つまりは何もないのに激しい快感に襲われると言うことがあり得るということです(あくまでも理論上は)。これが私の言う「無限の快感」の定義です。

激しいかどうかは知りませんが、実際の世界にある麻薬もそんなようなものでしょう。麻薬は服用直後は気分が明るく楽しくなるそうです。(じき禁断症状が現れて激しく苦しむことになりますが)。薬物防止運動の理由はいろいろとありますが、その一つが「薬物で快感を感じると努力して喜びを得ることをやめてしまう」というものがあります。ではここで、これを無限の快感の定義と合わせて考えてみましょう。

もし無限の快感のようなものがあれば、やはり人は努力することをやめてしまうだろうと考えられます。何もしなくても快感が得られるからです。しかし、実はこれは難しい問題なのです。幸福を求めることとは、人生上の快感を増やそうとする(または苦痛を排除する)考え方です。誰だって幸福を求めて生きていますが、それは結局はなるべく多くの快感を求めていることと同じではないですか? 例えそれが建設的であれ努力の上であれ何であれ、無限の快感と同じように、ほしいのは快感であって、それを少しでも求めているということになるのではないでしょうか?

ちょっと戸惑ってしまった人もいるかもしれませんが、でも心配は要りません。実際のこの世界では何かと問題はつきものです。努力しないと簡単には幸福は手に入りません(と私は思います)。

ここに、正負の法則という考え方があります。これは『オーラの泉』などで知られる美輪明宏の理論です。つまりは楽しいことがあれば必ず次は苦しいことがあり、苦しいことがあれば必ず次は楽しいことがある。幸福と不幸は裏重ねになっていると言う考え方です。

この考え方は無限の快感理論への一般的な答えでもあります。つまり無限の快感ばかりを感じることには意味はない。苦しみもあるから、快感も意味を持つのだと。ちょうどアンジェラ・アキも「苦しみがあるからこそ あなたを抱きしめるとき その腕の優しさを平和と感じるのでしょう」と歌っているように、その二つの感覚の対比の上に人の欲求は成り立っているのです。

ただし、正負の法則は一般的なポジティブな捉え方をすればいい考え方かもしれませんが、私はテレビでこれを聞いたときこう思いました。つまりはどんなに努力して幸福を手に入れても、その幸福の分だけ苦痛を受けなければならない。どんなに努力しても、ムダになってしまうんだと。

これはつまりジレンマです。苦しみに意味があることによって快感も意味を持ち、だから幸福を求めるべきなのか、それとも幸福を求め苦痛を排除することは苦しみの意義から逃げる悪い行為なのか。

私は今はこう考えます。

「人間として、そして命として生きる、その『過程』に意味を求めたなら、そのことによってはじめて喜怒哀楽は意味を持つことになるだろう。それは時にダイナミックで、またはささやかで有機的なものでなければならない。――求めることを恐れてはならない、喜びに意味があるなら、それを求めることにも意味がある」。

そしてYUIもこう歌っています。「簡単にいかないから生きてゆける」と。

■(2009.1.12)

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2009年01月11日

お知らせ:しばらく更新を休みます。【09.1.11】

記事枯渇のため、しばらく更新を休みます。

今、コードネーム「ai」という短編小説を書いているところなので、できあがり次第掲載したいと思います。
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2009年01月09日

詩『雪』

寝起きに、カーテンの後ろは曇りだろうか
そんな予測をたててカーテンをめくる
外を見てちょっと驚く
今日は、雪か……

昔の写真を見返したりしながら
一人部屋で静かに過ごす
外は雪がしんしんと降り積もり
道には誰かが雪をかいた跡
カメラを持ち出して写真を撮ってみても
写るのはただいちめんの白い写真
木の枝に積もった雪も
あんまり降るもんだから
かたまりのようになってしまっている

歩けば、足裏にはりついてくる冷たい床の感触
灯り始めたストーブが照り返す
窓の外、道行く人はポケットに手を突っ込み
スーツに白雪が降りかかる――

皆どこへ向かうのだろう
雪の霧に消えていく人影
鳥は寒くないだろうか
夜明けのさえずりもあやふやなまま
なぜ包むのだろう
まとった衣の下には春待つ息吹
太陽は、雪を溶かせるだろうか
人の思いが雪を溶かすように

■(Date Unknown)

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2009年01月07日

檄文『開発者に告ぐ』whitecaps

以下は現在のプログラム開発方法を憂い、その改革を求める超過激な檄文です。(プログラマーの方は気を悪くなさらないでください。)

開発者に告ぐ。あなたたちはいつまでその非効率でストレスばかりかかる開発方法を黙ってこなしているのか。あなたたちは毎日それが表示された画面を睨みながらソースコードと格闘し、キーボードを一文字の間違いも許されることなくせわしなくタイプして、プログラム開発を続けている。しかしもっと賢い方法があるだろう。それはMac OS XのAutomatorやQuartz Composerを発想点とする、GUIインタフェース上にパネルを並べたり、モジュールをマウス操作で繋げたりしてプログラムを作る方法ではないか。GUIでつくれるのはGUIだけではない。プログラムそのものをGUIで作ろうではないか。

アップルに告ぐ。なぜInterface BuilderとAutomatorというすばらしい技術を既に持っているのにそれを繋げようとしないのか。Interface Builder上でGUIを設計し、それをさらに機能強化したAutomatorのプログラムに繋げればいいではないか。なのに今のDeveloper Toolsにはそう言った機能がない。もしInterface BuilderとAutomatorを繋げたならば、Xcodeのエディタでソースコードを書く必要はもうなくなる。あなたたちはソースコード回帰などと言っているが、それは技術の進歩にそぐわない時代錯誤な考えとしか言いようがない。

再び開発者に告ぐ。あなたたちはいつまでテキストベースの開発を続けていくつもりか。コマンドを打ち間違えてエラーが返ってきたり、ディレクトリ構造を頭の中で思い浮かべなければいけない方法をいつまで続けていくつもりか。いつまでコンパイルしたあとに「あー、ここのメソッド名変えたから、こっちも変えなきゃいけないだった、失敗失敗。(テヘ♥)」などとのんきなこと言っているのだろうか。メソッド名など一つの場所で変えたなら全て同期するようにすればいいではないか。それを実現するのはGUIによる統合された管理である。テキストベースの開発を続けることとは、あなたたちがもっとも嫌っているはずの「非効率な」開発方法である。そんな方法があなたの脳に優しいはずがない。CUIはGUIフロントエンドが利用する基盤技術としてあればよいのである。

開発者に告ぐ。ソースコードはコアな開発者が最低限必要なときに触ればいいのであって、それをスタンダードな開発方法としているのは嘆かわしい。たとえばあなたは全ての開発者が機械語を使えるべきだと思っているだろうか、いや、そんな開発者はごく少数だろう。現在の普通の開発者は高級言語を使っている。そして今はその高級言語でさえ現在の機械語と同様に自動で作り出すようにすべき時なのだ。そしてあの逸話を思い出してみてほしい。昔、ソースコードの中のコンマとピリオドが一文字間違えていただけで、動作不能になって宇宙のもくずと消えた人工衛星があったことを。あなたはその原因を顧みず、同じ間違いを今目の前で繰り返そうとしている。

重ねて開発者に告ぐ。GUIコーディングソフトを誰も開発しないのは怠慢である。GUIコーディングソフトがあれば開発に関して深い知識がない人でもソフトが作れるようになる。つまりソフト開発の門戸が多くの人に開かれる。それをつくろうとしないのは、「開発という高度な専門知識を持っている私たちは、他の人にその術を与えてはならないのです。もしそんなことしたら私たちの仕事がなくなってしまいますからね。そうでしょう?グラント国防長官。あなたも、梅味、おひとついかが?」「いや、けっこうだ」と思っているとしか言えないではないか。そういった考え方はよりよいコンピュータ技術の発展のための大きな妨害行為である。ひいては社会の発達を妨げるものなのである。

もしGUIコーディングソフトが作られたとしたならば、さらにそのソフトをつかってそのGUIコーディングソフト自身を洗練させることが出来るだろう。そして開発は加速し、その恩恵は他のプロジェクトにも波及する。そう、誰でもいいから今すぐGUIコーディングソフトの開発を始めることが必要である。機は熟した。必要な技術はもうそろっている。あと必要なのはその方向性を皆で認識することだけなのである。

■(2008年1月2日。スプリットビューを使って二つのディレクトリを一つのウィンドウで表示できるHUD的シンプルファイルブラウザを作ろうとしたものの、だれも既成のファイルブラウザコンポーネントをネット上に公開していず、ソースコードを書かなければいけないという現実に直面して挫折した一人のプログラミング初心者より。)

誤解があるかもしれないというかあるので、追記:

私は別にこつこつソースコードを書く努力が悪いとか言ってるわけではありません。わたしだってLinuxが起動時にいろいろと文字の羅列を吐くのを見るとかっこいいと思ってしまいますし、そう言った歴史を尊敬しています。また、私はブログのXULversityという記事でインタフェースプログラム言語XULの紹介もしていて、そのXULの将来性に心酔しています。実際のところそのXULこそGUI開発環境が貧弱なくらいだし、わたしはそのサイトで「直感的な文法で書けるプログラミング言語はいい」と言ってるくらいなのです。でもたびたびプログラミングをしていて自分の限界にぶつかる度に、そう言ったやり方をいつまでも続けていくのはユーザーのためにも、プログラミングの将来のためにならないと思ったりします。だからこんな文章を書きました。実際にはGUIコーディングソフトを作ったとしても、そのソフト自体が使いやすくできていないとすぐには実用にはならないかもしれませんが、それはどんなソフトでも同じことであり、開発が進むと共に解決されていくものです。ちなみに人工衛星の話ですが、詳細まで正しいかはわかりません。こんな感じの話があったなって話です。

※「梅味」はアニメBLOOD+のヴァン・アルジャーノとグラント国防長官より。本文で使ったハートマークが正しく表示されないことがあることは知っていますが、ここでは絶妙な表現だと思ったので使ってみました。

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2009年01月05日

『東京 et 巴里(TV Edit)』歌詞音書き起こし

以下は、アニメ『のだめカンタービレ 巴里編』のエンディングテーマをうたってみたくて、本来フランス語である歌詞を自分で耳で聞いてカタカナに書き起こしたものです。あの歌を歌ってみたい日本人の方はこれを使ってみてください。適当に書き起こしたものなので少し間違っているかもしれませんが、ご容赦ください。

トキョ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル シ

アー パーリノー
スィテゥティオ フヌナナ

ホ ソコニトピルファ
ソレリオコテピァノ
エカティ
ポファズユコナシェイ

ポ ルオエオ スコアテェケェアティ
エレメンリリオ ペオ
ピーザリ

ピスティ ルーッコティ

スィーティ ピョルレノピ ペーッサリ
コキョソソリ ポーデア アテゥリ

トウキョウ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル ジ

トウキョウ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル シ

アー パーリノー
スィテゥティオ フヌナナ
ヌーニィー
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2009年01月02日

XULversity(Beta)

先日掲載したXULプログラミングについてのリンク集、XULversity(ズール・バーシティー)のBetaが出来ました。

ブログに載せるのは形態として微妙なので、Yahoo!ジオシティーズに開設いたしました。今回は「メニュー」と名付けてページを順を追って読んでいくとスムーズに習得できるようなページ構成にしています。XULプログラミングをはじめたい方、是非このページを参考にしてください。

リンク:XULversity

※まずトップページにとびますので、コンテンツのリンクを辿ってください

ラベル:XUL XUL入門
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2009年01月01日

新年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。ついに2009年が始まりましたね。2008年は私にとっていいことばかりではありませんでしたが、そこそこ充実していたと思います。

私の中ではいつ潰れるか、いつ心の記事のストックがなくなるかとヒヤヒヤしているのですが、今のところなんとかこのブログは持っています。今年もよろしくお願いいたします。

親戚・友人の方へ:
今年は事情があって年賀状を書くのが遅れて、あとしばらくの間年賀状を投函できそうにありません。下記掲載の年賀状画像で代わりとさせてください。

2009年あけましておめでとうございます。
posted by whitecaps at 14:33| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする