2009年02月12日

『これから高校で数学を学ぶ君へ』

「lim_h→0」はlimの下にh→0、「x(2)」と書いているのはxの二乗の意味です。

私はその時来年度受講する科目を選択するために先生と話していました。その先生は担任の先生で、担当の教科は物理なのですが、数学にも造詣が深い方で、私が数学に関する疑問のような、悩みのようなものを打ち明けたとき、その先生はこう言いました。

「まあ、数学は考え方を学ぶ科目だから。」

私はこの言葉の意味がすぐにはわかりませんでした。しかしその後数学の授業を学校で受ける度、この言葉がだんだんと私の心の中で意味を持っていくのがわかったのです。

limという数学の記号をみなさんは知っているでしょうか。limとはlimitの略で、lim_h→0と書いて値hが限りなく0に近づく(でも0ではない)ことを示します。(limは数学Uで学ぶ学習内容です。)このlimですが、大抵計算するときはlim_h→0なら単にhを0に置き換えて計算します。hが0に限りなく近いことを表しているわけですから、hを0として計算してしまって構わないのです。

しかしここで皆さんはこう思うでしょうか。「0として計算するなら、わざわざlimなど使わずに最初から0で計算すればいいじゃないか」と。実際のところlimを考えることにはどんな意味があるのでしょうか。

皆さんは小学校や中学校の理科で「平均の速さ」と「瞬間の速さ」について学んだことがあると思います。平均の速さとは「ある物体がある時間にたいしてある距離進んだ」と言うことから、その計測時間中の物体の速さを求める方法です。例えば自動車が2秒で6m進んだならその自動車の2秒の間の平均の速さは「3m/s」です。では瞬間の速さはどうでしょう。

一般に瞬間の速さは(車で言えば)スピードメーターが示す速さであると言われます。たとえばスピードメーターが時速50キロを示していれば「50km/h」なわけです。つまり瞬間の速さは純粋に物体の進む速さを表す概念と言えるわけです。

しかし、そのスピードメーター自体はどうやって速度を測っているのでしょう。スピードメータには科学の常識では考えられないような異次元物質が入っていて搭載されている車の速さが正確に測れる? いやいや。スピードメーターだってタイヤが回転した距離から進んだ距離を導き、それを内蔵した時計の時間で割ってスピードを求めているのです。

でもここで疑問がわきます。進んだ距離を時間で割っているならこれは平均の速さです。確かにスピードメーターはなるべく短い時間単位で進んだ距離を計測してはいますが、それでも時間は経過しているわけで、やはり厳密には瞬間の速さとは言えません。

では、突き詰めて考えてみて、瞬間の速さとは何でしょう。一般に物理では速度は物体から引かれた矢印の長さで表されます。それが時間経過のない長さのない時間であっても、これからその物体がどれだけの速さで進むかと言うことさえわかっていれば、それは速度として表せます(実際に物理では速度と呼ぶには物体が進む向きの指定も必要です)。つまり時間に長さはなくても速度はある。でも時間に長さがなかったら物体は進みません。時間あたりの進む距離がわからないと速さは求められないはずです……。さあ、一体どうしたものでしょう?

ここでlimが登場です。lim_h→0ならhは限りなく0に近い数でしたよね。これを使って考えてみましょう。瞬間の速さを測るための計測時間をh(lim_h→0)と置きます。limは「限りなく0に近い数」を示しますが「0ではない」ですから、とりあえずhに大きさはあるわけです。つまりhぶんだけの計測時間がありますから物体の進む距離が測れます。でもhは「限りなく0に近い数」ですからそれは無限に短い一瞬です。実質上時間が経過しているとは言えないくらい短い時間なのです。つまりlimを使って計測した速さの数値とはその物体の一瞬の速さを捉えており、純粋に物体の進む速度を示す瞬間の速さを示していると言えるのです。

このことからは「数学は考え方を学ぶ教科だ」という結論が導き出せます。先ほども書いたとおりlimの使われ方を知らないと「0として計算するなら、わざわざlimなど使わずに最初から0で計算すればいいじゃないか」と思ってしまうものです。しかしもしその感想のまま「結局0と同じだから」とか「そんなの実際にあり得ないじゃん」とか言って考えることをやめてしまうと、さきほどの瞬間の速さの厳密な概念の理解はできなくなってしまい、そこで数学の進歩の道は閉ざされてしまいます。つまりlimが実際どう計算されるかではなく、どうこの概念を考えるかと言うことに重要なポイントがあるのです。これは数学全体に関しても言えることです。(ちなみにlimは微分の分野で学びますが、実際の数学Uでは曲線のある一点での接線の傾きを知るのに必要な概念として出てきます。)

数学は自然に隠された真理を見つけ出す教科です。数学は一見私たちの住む日常とは無関係なようにも思えますが、実際には深い繋がりがあります。自然にも、人間にも、工業にも、コンピュータにも、絵画にも、音楽にも数学的思考は潜んでいます。なぜならばこの世界の全ての事象はそれぞれが持つ法則によって振る舞い、その法則は数学に則って形作られているからです。

「正しいか、正しくないか」が判断できる分野は二つあります。それは「倫理」と「論理」です。倫理についてはそれについて学ぶ教科がありますからそちらに任せるとしても、では「論理的に正しい」とはどういうことでしょうか?

皆さんは中学で数学を学び始める前に小学校から算数を学んでいると思います。小学校の算数で最初に学ぶことは何かというと、まずは数の数え方、そして足し算です。

たとえば「1+1=2」です。これは揺るぎのない事実であり、数学や算数を学ぶ上での大前提です。そして1+1=2なら1+(1+1)=3であり、つまりこれは1+2=3であることも示します。引き算でも、掛け算でも、割り算でも、すべては1+1=2という数の数え方から拡張して考えられます。これは中学の数学でも、高校の数学でも、どんな数学でも同じことです。

学校の教科とは社会で必要となる知識と考え方を身につけるためのものです。それは数学であれたとえば地理であれ同じです。しかし数学には他の科目と全く異なる点があります。それは「消えることがない」という点です。

例えば地理なら世界の状況が変化すると地理の勉強内容も変化します。もし人類文明が滅びれば地理という教科を学ぶ必要はなくなってしまうでしょう。しかし数学は違います。この宇宙が存在する限り、何かの物体が存在する限り数学は成立します。物体があればそれを数えることができ、数が成立し、そこから計算するということが出来るからです。

皆さんは難解な数式を見たとき、意味不明だと思うことでしょう。確かにそれはそうですが、しかし数式を見るときにそれをただの記号だと思ってはいけません。数式にはちゃんと意味があります。数式を見る度にその意味を理解するように心がけていたならば、計算をしたり、数学的概念を理解するのも容易になるでしょう。たとえばy=x(3)-3x(2)の式におけるy'=0の時のxの解はy=x(3)-3x(2)+4におけるy'=0の時のxの解と一緒になります。定数4は微分すると0になるので導関数の式が同じになるからです。数式の意味を理解していればこのように計算する手間を省き、計算ミスを防ぐことさえ出来ます。

数学は社会の発展のために役立つことはもちろんですが、それだけではありません。先ほども書いたとおり、数学はどんな分野の理論にも使われます。数学の考え方を学ぶことは、それを応用したあらゆる考え方を理解することでもあります。そして考え方を考えるという数学の本質的思考法が、皆さんのこれからの人生シーンにおいて役立つこともまた間違いないことなのです。

■(2009.2.4) by whitecaps

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ラベル:数学
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