たしかにWikiとかはありますし、コミュニティーの掲示板とかはあります。誰かが質問してそれに返答した記録がコミュニティーの掲示板に残っていて、それを参照してたとえばなんとかのソフトをインストールする方法とか、問題の解決法を探ることはあります。でも、よくわかんないことがあるんですよね。
Linux使っているひとにはCUI操作なんて当たり前ですから、これこれのコマンドを打つと解決します、なんて教示(?)があることがよくあります。まあ、今の私ならコマンドの打ち方はある程度わかっていますから、別にいいのかもしれませんが、昔の私だったら、そしてWindowsとかMacしか使ったことなくて、CUIが何なのかわからない、って人に「コマンドを打て」って言っても、「どこに打つの?、何で文字?、ウィンドウは?ボタンは?」ってことになると思うんですよね。
まあ、ユーザーが端末という言葉の意味を知っていればそれで何の問題もないのですが、もし初心者向けの本とかを書くならば、基礎的なことに限ってでもいいから、コマンドをどう打つのかとかCUIとは何なのかとか、そういったことにも触れておかなければいけないと思うんですよね。いや、まあ、触れてる本もありますが、触れてない本もあるわけで。
Linux自体やそのアプリケーションのインストールとかをしようと思ったら、事前の情報収集は欠かせない、とよく言われます。インストールするのにも、個別のソフトによっていろいろと注意点があって、ちゃんと把握しておかないとインストールに失敗して結果的に地獄を見る、なんてこともあります。Linuxにおいて、そういったことを理解しておくことは各ユーザーに必要な自己責任なんです。
――でも、私はそれはやさしくないと思います、ユーザーにとって。実際のインストーラーも「大切な情報」とか言う画面が表示されるウィザード画面があって、そうなっているわけですが、私としては「ナビゲーション」って非常に重要なものだと思うんです。何か用事を行うのにソフトが必要だって時に、Webブラウザを開いてGoogleで検索して探すって言うのは定法ですが、それってスマートじゃないなあと私はよく思います。何かしらのソフトを探すためのRIAアプリケーションがあって、そこの検索窓に欲しいソフトの機能を打ち込むと、ソフトがリストアップされる。そしてそこから項目を選ぶと、パッケージマネージャに繋いでソフトのインストールまでナビゲーションしてくれる、と言うことがあってもいいんじゃないかと思うんです。
確かに現在のパッケージマネージャにもそういうソフトデータベースのフィルタ機能はありますが、わたしはWebから検索エンジン的に情報を集めるような形態のアプリケーションにも需要があると思います。また話を戻せば、インストール事項についてもHTMLリンクが貼ってあってそこを読んでくれとしているインストーラーがありますが、やはりいちいちWebブラウザを開いてと言うのはスムーズではないでしょう。インストールに必要な情報は、全てインストーラーないしその関連画面上で表示されるべきです。(そしてそれはそれだけインストールに関する懸念事項が少なくあるべきだと言うことも示します。)
これらの話はとても哲学的な話にもなります。それは情報とは自分から探しに行くものか、それとも適宜与えられるべきものなのか、と言う問題です。呼び方をつけるとすれば「能動的な情報取得か、それともナビゲーション的な情報取得か」みたいなところでしょう。おそらくLinuxの前提は前者です。そしてこの社会というものもその基底は前者だろうと私は思います。どんな場合だって、自分から情報を得ること、得ようとすることの方が賢いに決まっていますし、それは人間である限り当然のように求められる大原則です。新聞を取っていたとしても読もうとしなければその情報は頭の中には入ってこないでしょうし、社会福祉制度なども自分からアンテナを立てておいて情報を掴まないと、有益な制度を利用できないこともあるのではないかとおもいます。
でも、アップル・ヒューマン・インタフェース・ガイドラインを読んだことがある私は、その文章に「ユーザーが操作に必要な情報は適宜与えられるべき」といった理念がどこかしこに含まれていたように感じました。(と言うかどっかに書いてあったかもしれません。) その理念から考えるならば、ユーザー(あるいは国民?)にとって本当にやさしいのは、必要な情報は適宜与えられるという後者の方なのだと私は思うのです。前者の重要性はもちろんのことですが、後者だって重要だとそう思います。後者の考えがなかったら、おそらく子供を学校に行かせるような義務教育のような制度が作られることはないでしょう。勉強の意味がわからないまま勉強している子供なんてたくさんいます。でも必要だからそのナビゲーション、ないし内容も含めた実行役として(たとえば)学校は存在するのです。
オープンソースはコードは公開されていますが、実際それを読むのにはかなりな知識がいります。その知識をスムーズに理解できるようなナビゲーションを用意しなければ、それはコードを公開して読み方を隠す、本当のオープンソースとは言えないと私は思うのです。初心者層の知識を引き上げることはオープンソースに必要な責務であり、コンピュータ技術の進歩にとっても大きな意味を持つことだろうと私は考えます。
なんか、話が変な方へ行きましたが、ようは私がLinuxのインストールによく失敗してるって話ですね。
■(2009.4.28)