2011年12月02日

お知らせ:ハンドルネームを変更します

久しぶりの更新になります。whitecapsです。いきなりですが、今回ハンドルネームを変更しようと思っています。今まで「whitecaps」というハンドルネームをずっと使ってきましたが、いろいろな都合があって、これからはこれを「Cobalt」というハンドルネームに変更したいと思います。アカウント名を変えたりするのは大変なので、実質(Seesaaに限らず)どのWebサービス上でもwhitecapsという名前は変更しないことになるかと思いますが、少なくとも文章の中でのハンドルネームはそのCobaltに切り替えていきたいと思います。
 
これからも読者の方に(居るならですが……orz)ご愛願の程をお願いいたします。


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2010年07月25日

お知らせ:現在はTumblrで更新しています

お久しぶりです。whitecapsです。

最近はSeesaaの方のブログは更新していません。今はTumblrのほうで主に記事を更新しています。とは言ってもこちらも更新は途切れ気味ですが。Tumblrブログはこちら。

Skyscape

最近はあまりパソコン関係の記事は書かないですね。アニメ系の記事が多いようです。
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2010年03月31日

お知らせ:退院しました

whitecapsです。長らく病院に入院していましたが、ようやく退院となりました。

何というか、家の方が病院より狭っ苦しくて散らかっててすごく寒くて居心地が悪いのですが、とりあえずインターネットが使える環境に戻ってきたということで、ブログの更新とさせていただきます。

コミュニケーション障害のほうはまだ残っている感じで、これから先治るか展望はわかりません。ブログに書く内容もあるのかな、という感じですが、何か興味のあることを見つけ次第、投稿していこうかな、と思っています。
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2010年02月27日

お知らせ:ブログを振り返ってみると

外泊で帰宅しています。whitecapsです。

病院にいるとインターネットが使えないので、インスパイアしてくれる情報源が少なくなって、最近はなかなか作品が作れない状況でいます。最近は外泊の度に毎回詩を載せていますが、今回は詩は載せないつもりです。

患っている病気というのは書いてしまうとコミュニケーション障害のような感じのものです。一応文章は書けるけれども適切なニュアンスじゃないといった感じのもので、ブログの更新もまずなにから書くべきなのかはっきりしないように思います。また、記事数が多いこともあって過去の記事はあまり意識していません。

今になってこれまで書いたブログの記事を振り返ってみると、昔の記事も最近の記事も、なんて無自覚な内容を書いているんだろう、と思わされることしきりです。中には正確さを欠くような記事もあるようなので、読者の方にはなにとぞ文脈を真に受けずに良い意味で捉えるようにお願いいたします。また、今のところ過去の記事のメンテナンスはしないつもりでいます。
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2009年09月18日

お知らせ:記事更新をしばらく休みます

お久しぶりです。whitecapsです。

身持ちの疾患で、現在病院に入院していまして、更新が2ヶ月ほど止まりました。このブログを読んでくださっている皆さんに大変心配をお掛けしたことを深くお詫びします。今は外泊と言うことでこちらを更新しているのですが、まだ退院には時間がかかりそうに思います。なので病院で書いた詩を一つ載せて、また記事更新は休むことになると思います。本当にご迷惑をお掛けします。
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2009年05月28日

lime

最近体調不良その他で、詩は一個載せたものの、全体のブログの更新を休んでいました。先日『意志ベクトル論.pdf』という記事を載せて、まあ、それは何年も前から私が頭の中でずっと考えてきたことの流れの一つなんですが、でも最近になって、こういう理屈になんの意味があるのかぁと思うようにもなってきて、なのでこれからしばらくは哲学について書くのはやめようかな、と思っています。でも自分が今まで書いてきたことの後始末みたいなものは、ちゃんとしなきゃいけないかな、とも思うので、結局は同じ理屈をこねることにはなってしまいますが、今までの理論の「中和」みたいなものをしておきたいと思います。

まず、「アレルヤとハレルヤ」で書いた「バイナリとソースコードは対応関係にある」について。まあ、私はこれは別に間違いだとかはどうしても言えないのですが、それが「直感は論理で構築されている」すなわち「直感の正体は論理である」って言うイメージに結びつくと、それは違うのかな、とも今は思っています。例えば果物の甘さってものがあって、それが糖度計で測れて、まあ、それは甘さを示しているのは間違いないし、それで商品を評価するとか、そういうのはもちろん正しい方法なのですが、でもそれは人が感じてる甘みそのものなのかな、と言う感覚的なことを言うと、違うような気がすると。私は過去の記事で全ての感覚は+と-という一直線のバロメータの上にのせられると書いて、まあ、そういうとらえ方はもちろんできるし、重要なのですが、じゃあリンゴジュースとオレンジジュースの味をそのまま一直線のメーターの上にのせられるかって言うと、そうじゃないとも今は思っています。例えそれが物理的には六つの味覚のグラフの数値で出来てるとしたって、じゃあ食べ物の味がそのバランス「そのもの」なのかっていうと、そうじゃないとも思うのです。それそのものだけの感覚というか、そういうものがあるし、その時の気分や人による好みによって飲みたいものは違うし、結局どっちを飲むのかは決めなければいけませんが、だからといってじゃあいつだってそれが良いのかって言うと、それは違うのかなと考えます。音楽に関して「音楽の広がりには有限性がある」と書いて、結局これは否定できないし、音楽にジャンルや傾向があって「似てる曲」とかあるのは間違いないのですが、でも最近になってこの曲にしかない唯一の感覚って言うのも、そういう上でもやっぱりあるよなって言う気持ちがします。

「感覚って言うのがどういうものか知りたい」「じっくり解明したい」みたいな、まあ、私もそういうことで、今まで論理で感覚を解剖する、みたいなことをやってきたわけで、それって言うのは脳科学者が脳を解明することで人間の心を解明するとか、国語学者が文法を調べるというようなことと似ているとは思います。でも今の私がそういうやり方をすることで感覚というものがどういうものかわかるのかって言うと、それは今の私には当てはまらないとも思ってます。脳科学者の人とか、国語学者の人って言うのは、純粋に知的好奇心とか、それを知ることで何かに活用したいと思って調べているし、私も最初はそうだったのだと思いますが、今の私はただ理屈だけ追って、そういうものを忘れているような気がします。そういうやり方やとらえ方だと、最初に一番知りたかった「感覚ってどういうもの?」っていうそれそのものが、結局見えなくなってしまう気がするんですね。捉えるつもりが、解剖してバラしてしまうわけです。思えば、私も子供の頃は国語の文章の解読とか、文法の授業を受けていて、どこかモンモンとした気分を感じていたことを覚えています。それが重要なことも、それで構成されていることもわかるけど、でもそれで文章の心がわかるのか、って。

まあ、私も一応詩は作ってきて、そこそこなものは作れてるんじゃないかとは思っています。自分で『詩の心』なんて記事も書いているぐらいですからね。でもどっかで悩んだときに、「ここはこうだからこうだよな」とか「ここはこうだからこうあるべきだよな」って言う思考にはまってしまって、そういうときに一番詩が求めるべき、その、言葉の響きって言うか、感覚って言うものと外れる方向に進んでしまうことがあるな、と感じています。つまりどっか不自然だったりするんです。私は今まで詩は言葉遊びだけではだめだと、裏にちゃんと哲学とか、理念とか、あるべきだと考えてそれを実行していたんですけど、私が詩に入れるそういうものは、つまりメッセージとか、あるいは作品性みたいなものではなくて、ほんとに理論そのものって言うか、理屈になってしまっていて、その詩の良さを消しているのかな、と思います。本当に良い詩を作ろうと思うなら、たとえ文章としての定型とか、傾向とか、法則的なものが必要だとしても、それそのものだけを見ても結局は、実際にできあがる詩はどこか鋭さがないし、それは理論としても結局は間違えてることになるのでは、と思います。

時には言葉にして、図にして、理屈で考えることは必要です。でも直感でわかるなら、それ以上はないとも思います。結局はそれが芯を捉えた、正しいことを示しているんじゃないかと今では考えています。ソースコードがバイナリに変換されて動くというのはプログラミングにおいて事実ですが、そういう考え方でもやっぱり動いているのはバイナリだし、ソースコードをコンパイルするコンパイラも(コンパイラだってソースコードをコンパイルして作るものではありますが)バイナリだし、ソースコードを生み出すのも、やっぱバイナリだと思うんです。そしてコンピュータの精神世界(?)みたいなものがあったとして、一番最初にどっちがあったかって言ったとき、ソースコードはそれだけあっても動かないわけですから、バイナリがまず先にあったんじゃないかなと思います。だからそのバイナリがしっかりしていないと、そこから生まれるその他全部もしっかりしていないと。インタプリタのプログラムを動かすのも結局はバイナリなわけですし、実行環境が微妙なところでソースコードをいくら正確に書いても正しく動いてくれないだろうと考えます。私はソースコードがソフトウェアの精神であり、その発展の基軸となり、実際、開発においてもそれが編集できてこそプログラムが進化できるのは事実であるので、今までソースコード重視の方針でしたが、とりあえず今持っている印象としては、バイナリ至上主義、と言った感がします。

「求めるほかに道はない」というコラムを書きましたが、やはりこれも訂正しなければいけません。私は確かに何かを達成するためには、求めるしかない、それ以外にはないと今でも思っています。でも、あまりにそれにこだわりすぎて、じゃあ結局どうなるの、と言うことを忘れていたように思います。不要な焦りを生んでいたということです。そしてその焦りは情熱でもない。達成することだけに意味がある、結果だけ出せればいいということは言えないと思いますが、それを引き出すために求めることが必要と言っても、そればかり注視するのもやはりよくないと、そう思っています。小説でもエンディングだけのストーリーは本じゃないし、エンディングの来ないストーリーも成り立たないし、両方あって、そういうもんで、どちらが上に置かれるイメージなのかとかそういうもんじゃないと思うのです。(昔読んだ「はてしない物語」(Never Ending Story)も、一応その本そのものとしてのストーリーは完結しますし。)目的をそれとなく見据えつつ、そこまでの歩いていく道のりを踏みしめて、周りの景色も見回しながら、時には横道にそれたりしながら歩いていくのが良いのだろうなと今では思っています。

「未来は変えられない」についても反駁を。まず第一に物理雑誌を読んでいて知ったのですが、この私が書いた考え方は物理学では「ラプラスの魔物」と呼ばれるそうです。つまり世界の全てを知っている魔物がいて、それはこの世界がどうなるか全て予測できると。しかし量子学の思考法においてはこれが「成り立たない」と言うことでもあるそうで、私はまだしっかりと調べていないのでわからないのですが、物理学という分野としても必ずしも「未来は変えられない」となっているわけではないようです。私は自分の経験から「歴史は変えられない」つまり「道は一つ」、「未来は変えられない」と考えたわけで、量子学がどうとか言ってもこれは変わらないのですが、でもわたしも「シュレーディンガーの猫」の様な考えもやはり的を射た考えで、つまり「全て物理法則に従って一つの道を進む」というのも「全ての事象は確率でとらえられる」というのも、物理学がその二つを内包しているように、反対のようでいて、実は共存していて、どっちも正しい、そういうように今では思います。「シュレーディンガーの猫」はあくまでも「確率」であり定量的なものですが、「不確実性」というものも存在しないのか、それらと共に成り立たないのかと言ったら、説明しようはありませんが、そうではないような気が今の私はしています。分野は変わりますが、プログラミングにおいても、オブジェクトは渡されていない情報については認識できませんし、判断できません。CPUで動くのがある一つの処理であると言っても、そういうことを言っても実際問題オブジェクト自身がそれをそのままとらえるとかは、出来ないと思います。

私はあの時「未来が決まっていると思うことで、余計な心配をしないですむ」みたいなことを書きました。でも今の私としては、時には注意したり、気を払ったり、集中したりすることも重要だと思っています。私が『求めるほかに道はない』で書いた「求めること」というのは単に「幸せを求める」だけでなく、「苦しみから逃れるために求める」と言うことも重要な要素で、その両方から成り立つ考えなのですが、そのためには「恐怖」も必要だと、「恐れることを恐れない」みたいな考えも出来るのかな、と今では思っています。それは循環論法(パラドクス)で「結局は恐れたくないってことじゃん」とも言えるのですが、でも「恐れることを恐れない」と言う言葉の意味自体がそのパラドクスによって消えるのかというと、そういうわけでもないと感じます。

スポットライト理論では、「たくさんの見方があるのは論理であって、倫理ではその人ごとに一つに決まっている」と書いて、これはつまり人間は最終的には何らかの判断を下して行動しているから、と言うことなのですが、例えばじゃあ、その根幹部分を論理で、言葉でハッキリと見つけないとだめかというとそうではなくて、先にも書いたとおり直感の方がよくそれを知ってたりすると、今では思います。たとえそういう根幹部分を理論で知ったとしても、その価値というか意味そのものは知ることが出来ない、とも思うのです。結局は崩して、無意味なものにしてしまうのではないのだろうかと。そして根幹がわかっていても、それを実際のレベルまで引き上げていく過程で一体のあるつながりのあるものでなければ、結局は「心を知って、心を知らず」になるだろうと思います。底が正しくて、その部分と線で繋がっていても、必ずしもそれでまっすぐに発展しているわけではない、全体で見ればあらぬ方向に行く、と言うことがありえると思うのです。



なんというか、自分の考えてきたことを否定するのはまったく情けないのですが、このままほうっておくわけにも行かないので、とりあえずここまで書いてみました。これらは私が今、心情的に弱気になっていることの現れかもしれませんし、根拠も感情論であり、全てのことにたいして反駁出来たわけではありませんが、今私が感じていることを、ここに記しておきたいと思います。
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2009年04月23日

お知らせ:しばらく更新を休みます【09.4.23】

最近このブログの記事は詩とか哲学とかばっかですね。パソコンに関する記事のストックはあるにはあるのですが、かなり規模が大きめで、ブログに載せるのはどうかなって感じがしています。なのでこのブログの更新は再度しばらくお休みさせていただきたいと思います。

実は新しい長編小説の企画があって、その管理の始動で忙しかったりします。その小説はあまりにも構想が大きくて散在的なので、はっきり言って書き上げられるかどうか自信がないです。……でも、一応やってみるつもりです。
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2009年04月05日

お知らせ:ブログデザインを変更しました【08.4.5】

ブログのスキンを変更しました。ほんとはSeesaaの[楓 想い出]というスキンが春らしくて良いかな、と思ったのですが、既に私のブログはワイドな幅を想定した記事設定になっているので、それは使えないと言うことで、結局またデザインを自作しました。いつまでも雪のテーマじゃダメだろうし。

北朝鮮がロケットを飛ばしたそうですね。わたしはこのまえ短編小説『ズラチナルーカ』なんてのを書いていますが、どうも私はBase Ball Bearの『ドラマチック』にハマっていてミサイルの方は実感がないです。テレビをもっと見るべきなんでしょうか。

スキンなんか作ってないで記事更新しろ!って事なんですが、このまま記事数が少なくなっていって、このスキンを作り直したい意味も消えていくとか……?
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2009年03月13日

お知らせ:しばらく更新を休みます。【09.3.13】

作業フォルダを見ていたら、もう詩以外にストックがないことがわかりました。最近怠慢だったからなぁ……長い記事いっぺんに載せちゃったからなあ……tumblrに載せちゃうもんな……。

と言うわけでしばらく更新を休みます。小説の企画自体はたくさんあるのですが、新しく思いついた小説の構想で頭がいっぱいで、全然進んでいません。

なんだろう、Seesaaの高機能なブログサービスがtumblrのような使いやすいシンプルなインタフェースで実現できたら最高なんだけどな……。
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2009年02月18日

お知らせ:しばらく更新を休みます。【09.2.18】

記事枯渇のため、しばらく更新を休みたいと思います。tumblrの方は更新していこうと思っていますので、よろしくお願いします。
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2009年02月12日

『これから高校で数学を学ぶ君へ』

「lim_h→0」はlimの下にh→0、「x(2)」と書いているのはxの二乗の意味です。

私はその時来年度受講する科目を選択するために先生と話していました。その先生は担任の先生で、担当の教科は物理なのですが、数学にも造詣が深い方で、私が数学に関する疑問のような、悩みのようなものを打ち明けたとき、その先生はこう言いました。

「まあ、数学は考え方を学ぶ科目だから。」

私はこの言葉の意味がすぐにはわかりませんでした。しかしその後数学の授業を学校で受ける度、この言葉がだんだんと私の心の中で意味を持っていくのがわかったのです。

limという数学の記号をみなさんは知っているでしょうか。limとはlimitの略で、lim_h→0と書いて値hが限りなく0に近づく(でも0ではない)ことを示します。(limは数学Uで学ぶ学習内容です。)このlimですが、大抵計算するときはlim_h→0なら単にhを0に置き換えて計算します。hが0に限りなく近いことを表しているわけですから、hを0として計算してしまって構わないのです。

しかしここで皆さんはこう思うでしょうか。「0として計算するなら、わざわざlimなど使わずに最初から0で計算すればいいじゃないか」と。実際のところlimを考えることにはどんな意味があるのでしょうか。

皆さんは小学校や中学校の理科で「平均の速さ」と「瞬間の速さ」について学んだことがあると思います。平均の速さとは「ある物体がある時間にたいしてある距離進んだ」と言うことから、その計測時間中の物体の速さを求める方法です。例えば自動車が2秒で6m進んだならその自動車の2秒の間の平均の速さは「3m/s」です。では瞬間の速さはどうでしょう。

一般に瞬間の速さは(車で言えば)スピードメーターが示す速さであると言われます。たとえばスピードメーターが時速50キロを示していれば「50km/h」なわけです。つまり瞬間の速さは純粋に物体の進む速さを表す概念と言えるわけです。

しかし、そのスピードメーター自体はどうやって速度を測っているのでしょう。スピードメータには科学の常識では考えられないような異次元物質が入っていて搭載されている車の速さが正確に測れる? いやいや。スピードメーターだってタイヤが回転した距離から進んだ距離を導き、それを内蔵した時計の時間で割ってスピードを求めているのです。

でもここで疑問がわきます。進んだ距離を時間で割っているならこれは平均の速さです。確かにスピードメーターはなるべく短い時間単位で進んだ距離を計測してはいますが、それでも時間は経過しているわけで、やはり厳密には瞬間の速さとは言えません。

では、突き詰めて考えてみて、瞬間の速さとは何でしょう。一般に物理では速度は物体から引かれた矢印の長さで表されます。それが時間経過のない長さのない時間であっても、これからその物体がどれだけの速さで進むかと言うことさえわかっていれば、それは速度として表せます(実際に物理では速度と呼ぶには物体が進む向きの指定も必要です)。つまり時間に長さはなくても速度はある。でも時間に長さがなかったら物体は進みません。時間あたりの進む距離がわからないと速さは求められないはずです……。さあ、一体どうしたものでしょう?

ここでlimが登場です。lim_h→0ならhは限りなく0に近い数でしたよね。これを使って考えてみましょう。瞬間の速さを測るための計測時間をh(lim_h→0)と置きます。limは「限りなく0に近い数」を示しますが「0ではない」ですから、とりあえずhに大きさはあるわけです。つまりhぶんだけの計測時間がありますから物体の進む距離が測れます。でもhは「限りなく0に近い数」ですからそれは無限に短い一瞬です。実質上時間が経過しているとは言えないくらい短い時間なのです。つまりlimを使って計測した速さの数値とはその物体の一瞬の速さを捉えており、純粋に物体の進む速度を示す瞬間の速さを示していると言えるのです。

このことからは「数学は考え方を学ぶ教科だ」という結論が導き出せます。先ほども書いたとおりlimの使われ方を知らないと「0として計算するなら、わざわざlimなど使わずに最初から0で計算すればいいじゃないか」と思ってしまうものです。しかしもしその感想のまま「結局0と同じだから」とか「そんなの実際にあり得ないじゃん」とか言って考えることをやめてしまうと、さきほどの瞬間の速さの厳密な概念の理解はできなくなってしまい、そこで数学の進歩の道は閉ざされてしまいます。つまりlimが実際どう計算されるかではなく、どうこの概念を考えるかと言うことに重要なポイントがあるのです。これは数学全体に関しても言えることです。(ちなみにlimは微分の分野で学びますが、実際の数学Uでは曲線のある一点での接線の傾きを知るのに必要な概念として出てきます。)

数学は自然に隠された真理を見つけ出す教科です。数学は一見私たちの住む日常とは無関係なようにも思えますが、実際には深い繋がりがあります。自然にも、人間にも、工業にも、コンピュータにも、絵画にも、音楽にも数学的思考は潜んでいます。なぜならばこの世界の全ての事象はそれぞれが持つ法則によって振る舞い、その法則は数学に則って形作られているからです。

「正しいか、正しくないか」が判断できる分野は二つあります。それは「倫理」と「論理」です。倫理についてはそれについて学ぶ教科がありますからそちらに任せるとしても、では「論理的に正しい」とはどういうことでしょうか?

皆さんは中学で数学を学び始める前に小学校から算数を学んでいると思います。小学校の算数で最初に学ぶことは何かというと、まずは数の数え方、そして足し算です。

たとえば「1+1=2」です。これは揺るぎのない事実であり、数学や算数を学ぶ上での大前提です。そして1+1=2なら1+(1+1)=3であり、つまりこれは1+2=3であることも示します。引き算でも、掛け算でも、割り算でも、すべては1+1=2という数の数え方から拡張して考えられます。これは中学の数学でも、高校の数学でも、どんな数学でも同じことです。

学校の教科とは社会で必要となる知識と考え方を身につけるためのものです。それは数学であれたとえば地理であれ同じです。しかし数学には他の科目と全く異なる点があります。それは「消えることがない」という点です。

例えば地理なら世界の状況が変化すると地理の勉強内容も変化します。もし人類文明が滅びれば地理という教科を学ぶ必要はなくなってしまうでしょう。しかし数学は違います。この宇宙が存在する限り、何かの物体が存在する限り数学は成立します。物体があればそれを数えることができ、数が成立し、そこから計算するということが出来るからです。

皆さんは難解な数式を見たとき、意味不明だと思うことでしょう。確かにそれはそうですが、しかし数式を見るときにそれをただの記号だと思ってはいけません。数式にはちゃんと意味があります。数式を見る度にその意味を理解するように心がけていたならば、計算をしたり、数学的概念を理解するのも容易になるでしょう。たとえばy=x(3)-3x(2)の式におけるy'=0の時のxの解はy=x(3)-3x(2)+4におけるy'=0の時のxの解と一緒になります。定数4は微分すると0になるので導関数の式が同じになるからです。数式の意味を理解していればこのように計算する手間を省き、計算ミスを防ぐことさえ出来ます。

数学は社会の発展のために役立つことはもちろんですが、それだけではありません。先ほども書いたとおり、数学はどんな分野の理論にも使われます。数学の考え方を学ぶことは、それを応用したあらゆる考え方を理解することでもあります。そして考え方を考えるという数学の本質的思考法が、皆さんのこれからの人生シーンにおいて役立つこともまた間違いないことなのです。

■(2009.2.4) by whitecaps

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ラベル:数学
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2009年01月11日

お知らせ:しばらく更新を休みます。【09.1.11】

記事枯渇のため、しばらく更新を休みます。

今、コードネーム「ai」という短編小説を書いているところなので、できあがり次第掲載したいと思います。
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2009年01月01日

新年あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。ついに2009年が始まりましたね。2008年は私にとっていいことばかりではありませんでしたが、そこそこ充実していたと思います。

私の中ではいつ潰れるか、いつ心の記事のストックがなくなるかとヒヤヒヤしているのですが、今のところなんとかこのブログは持っています。今年もよろしくお願いいたします。

親戚・友人の方へ:
今年は事情があって年賀状を書くのが遅れて、あとしばらくの間年賀状を投函できそうにありません。下記掲載の年賀状画像で代わりとさせてください。

2009年あけましておめでとうございます。
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2008年12月30日

お知らせ:アフィリエイトはじめました。

アフィリエイトをはじめました。Amazonアフィリエイトです。自信を持っておすすめできる商品を紹介していきますので、良かったらクリックしてみてください。これからもこのブログをよろしくお願いします。
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2008年11月26日

お知らせ:しばらく更新を休みます(08.11.26)

ソースがなくなってきたので、しばらく更新を休みたいと思います。

詩(と短編小説が少し)はまだたくさんあるのですが、哲学とかパソコンとかに関するストックがありません。じき何か書くつもりですが、詩だけではつまらないと思うのでそれまで更新を休みます。

tumblrの方は更新するつもりですので、よろしくお願いします。

たまには自分の昔のWorkでも読み返してみるか……。
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2008年11月11日

お知らせ:tumblrはじめました。

ずっとサイドバーに一言欄を作って呟きを載せてきましたが、もっとシステム的に、そして履歴が残るように出来ないものかな、と思ってtumblrをはじめてみました。以下がそのURLです。

[ http://white-board-blog.tumblr.com/ ]

ブログの方の一言欄は更新が停滞することが予想されます。
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2008年10月20日

ブログデザインを変更しました。(08.10.20)

ブログデザインを変更してみました。

あたらしくMacBookを買ったのでスクリーンが広くなったのですが、そうしたらブログの横幅も広げられるかなあと思って、前から考えていたので変更してみました。問題があったらコメントお願いします。

LeopardのSpacesは快適だ……。
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2008年09月03日

お知らせ:更新を再開します(08.9.3)

田舎のほうから帰ってきたのでまた更新を再開したいと思います。前更新を停止するときのお知らせで、「よくないお知らせがあるかもしれません」と書きましたが、一応それは回避できました。

「それ」とはいつもお世話になっている田舎の祖父のことなのですが、胃がんの手術後に肺炎を起こして意識がない状態になっています。峠は越したとのことですが、まだまだ心配です。少しずつでもいいから肺炎が治まって意識が回復することを願っています。

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2008年08月18日

お知らせ:更新を停止します

またしばらく田舎の親の実家のほうに行くので、更新が止まります。まあ、実際のところ掲載する記事のソースが無くなってきたからと言うのも理由なのですが……。帰ってきた頃にはあまりよくないお知らせがあるかもしれません。
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2008年07月11日

お知らせ:ブログ更新を休んでいます

完成している記事がないので、ただいま更新を休んでいます。完成しそうな記事はあるのですが、あとちょっとの締めが思いつかず掲載できずにいます。

MacPortsを外部ハードディスク内にインストールしようと奮闘していたのも更新が止まっている原因の一つです。ほんとは学校の勉強ももっとしなければいけないのですが……。QTがあんなにビルドに時間がかかるとは思わなかった……。
posted by whitecaps at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする