2009年03月01日

『試験終了』自作BLOOD+コミックビジュアル

えーっと今回もBLOOD+です。しつこいまでに蒸し返します。

『試験終了』自作BLOOD+コミックビジュアル

この前単位認定試験があったのですが、その二日目の試験用紙を解いていたら、どーぅしても絵が描きたくなって、二回にわたって試験用紙に落書きをしました。

最初のは音楽Uの試験で、「cantabile」の意味を答えろという問題があったので、のだめを思い出して、千秋を描こうとしました。でもどうしてもその前髪のサバけた感じがわからなかったので、ヤスに変更。回答欄のすぐ横に問題の得点表示をまたぐようにして描いて、そして最後に「none fagot.」(あれ?)と添えて完成。【問題の正解は「歌うように」】

二度目は家庭基礎の試験で、机と鉛筆と、消しゴムを描きました。

何でそんなの描こうと思ったのかっていうと、上に掲載した絵の構想が思いついたからです。世界史の解答を書き終わったあと、ずっと描こうかどうか迷っていたのですが、紙が微妙だし、描き上げる自信がなかったので描きませんでした。

で、後日になって家や学校で何日も時間をかけて描き上げて、まあ、三次元完全苦手の私でもなんとか描き上げました。漫画部の人が貸してくれた漫画指南書とスキャン時に指南してくれた先生に感謝です。にしてもGIMPのレベル補正使うと鉛筆汚れがきれいに消えるんだなー。

§ § §


ええっと、似てない?どっかおかしい?ここがおかしい?何で陰の輪郭線まで濃く描いてる?古い? そう言う人は藤咲監督のとこ行って本物を描いてもらってください。あの人今エリン作ってますから。

音楽の試験結果はどうなったかって……? ええ、満点でした。作曲家のあたりで間違ってるだろうって思ってましたけど、運が良かったですね。一安心です。

……自分がもっとうまく絵が描けるようになったら、描き直そう。


ラベル:BLOOD+
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2009年02月21日

ミニコラム『私がアニメを好きな理由』

※更新休止中ですが、tumblrに載せるには長いかと思ったので、こちらに載せます。

私はアニメが好きです。でもアニメ好きじゃない人から見たら、何で好きなのか、思うところがあると思います。なんで自分の頭の中の整理もかねて、ちょっとまとめてみたいと思います。

1.アニメは芸術です。

アニメはフィクションですので、物語的なものとして捉える人が多いと思いますが、私はアニメは総合芸術であると思います。アニメにはストーリーはもちろんのこと、作画はもちろんのこと、テーマソングやBGMなどの音楽も含まれます。それぞれの媒体だけで別々に楽しむのも趣があるものですが、それらが組み合わさっているというのはもっとすごいと思います。

2.アニメはメッセージです。

アニメというのは作者(もちろん多人数で制作していますが)の表現ですから、メッセージ的なものが含まれています。たとえば『FREEDOM』では、自由とは与えられるものではない、自分からつかみ取るものだというメッセージが込められています。他のアニメでも様々なメッセージがあることでしょう。

3.アニメは世界です。

アニメというのは世界観です。それは独特な摩訶不思議なものであったり、現実世界と何らかの関連性を持っていたりします。「アニメーション」の語源の「アニメート」とは、「命を吹き込む」と言う意味だそうです。絵を動かすことによって登場人物に命を与える。アニメをただの空想物語と捉えたら、あまりアニメに没入することもないでしょうが、キャラクターを見てそこになにか生き生きとしたものを見つけたなら、そのキャラクターが住んでいるそれぞれの世界というものも視聴者にとっては無視できないものになるのではないでしょうか。

4.アニメは抽象です

アニメというのものはステレオタイプなものです。強調表現のかたまりです。そう言うところを見て普通の人がげんなりしたりわざとらしいと思うのはもっともなことです。でもバスの中で荷物を持って立っている老人の前で、優先席のイスに若者が足を広げてふんぞり返っているのを見て不快に思うなら、それもきっとステレオタイプです。もしかしたら若者は弱気な人で、昨日先輩からもっと堂々としろ、と言われたのかもしれませんし、老人はフルマラソンを完走するくらい元気な人かもしれません。それはわかりません。

学校の卒業式で泣く人がいたりしますが、その人だって日頃から泣いているわけではないでしょう。卒業式で先生への感謝とか、友人への思いとかで感極まることがあるかもしれませんが、いつもはそんな感情はわき上がりません。でも、じゃあ、そんな感情はないのかというと、そうでもありません。そう言った感情は日頃の生活の中では表に出ません。でも卒業式という式典を迎えると、その感情が発露するわけです。そしてたぶんそれはアニメというものが持っている性格と同じです。人間の隠れた感情、認識というものが、アニメの表現というステレオタイプとして表れるのだと思います。

5.アニメは法則です。

アニメというものは芸術でありながら、法則でもあります。芸術作品というのは新しい表現を求めつつも、それでも大抵は法則に則って作られます。不自然さを排除することが芸術にとって重要な要素であることは無視できません。人物でも関節の動きだとかを考慮しないとおかしな動きになってしまいますし、ビルを描くのには透視法とかが必要だったりします。ストーリーだってめちゃくちゃなものは何を表現したいのかわからなくなってしまうでしょう。アニメはあくまでも人間が作り出したものですので、やはり現実世界の様々な法則が反映されるものなのです。

6.アニメは(やっぱり)娯楽です。

上記の項目はちょっと重い話ですが、アニメには娯楽という一般的な、でも重要な面があります。視聴者が日常生活を送るなかでちょっと疲れたなあとか思ったとき、アニメを見てそのギャグで笑う、と言うことは一息つける瞬間です。わたしは(アニメではないですけれど)トリビアの泉が放送されていた頃その放送をよく見ていました。あれはへぇーと思うのはもちろん、笑えるところがいっぱいあってとてもよい娯楽になっていたと思います。アニメは一週間に一回放送されるのが基本なものなので、アニメを見ることによってああ、一週間経ったんだ、と思えるところもいいところです。

まあ、こんなところでしょうね。

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2009年01月05日

『東京 et 巴里(TV Edit)』歌詞音書き起こし

以下は、アニメ『のだめカンタービレ 巴里編』のエンディングテーマをうたってみたくて、本来フランス語である歌詞を自分で耳で聞いてカタカナに書き起こしたものです。あの歌を歌ってみたい日本人の方はこれを使ってみてください。適当に書き起こしたものなので少し間違っているかもしれませんが、ご容赦ください。

トキョ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル シ

アー パーリノー
スィテゥティオ フヌナナ

ホ ソコニトピルファ
ソレリオコテピァノ
エカティ
ポファズユコナシェイ

ポ ルオエオ スコアテェケェアティ
エレメンリリオ ペオ
ピーザリ

ピスティ ルーッコティ

スィーティ ピョルレノピ ペーッサリ
コキョソソリ ポーデア アテゥリ

トウキョウ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル ジ

トウキョウ エト パリ
パリ イ トキョ
イピトリョ ファーン ル シ

アー パーリノー
スィテゥティオ フヌナナ
ヌーニィー
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2008年06月24日

電脳コイルかんたんハッキング(後)

この記事は前記事の続きです。

サントラ

――先ほども言ったとおり、サントラを買いに行ったのですが、CDショップのカウンターで頼んだらいつのアニメかと聞かれました。なぜそんなことを聞かれたのかというと、店員の人によればこのCDは製造中止になっているとのことで、うすうすそんな気もしていたもののやはり驚きました。他店の在庫があったらしくそこから取り寄せて貰いましたが、入荷の電話を受けたときに外出中で財布にお金が無く、一度店に寄って値段を聞いたものの持ち合わせでは足りず出直すことに。そしてもう一度資金を用意してお店に行ってやっと手に入れました。

空けてみたら曲数の多さにビックリ。2枚組だったことにちょっとビックリ。一枚のCDに19トラック入っていて二枚ですから、38曲入っている計算になります。

「悲しみ」「戸惑い」「疾走」はスリリングで気に入りました。(もちろん池田綾子の歌のTV EDITもいいのですが、FULLバージョンがほしい……。)「電脳都市」は私はやったことはないけどドラクエみたいな響きの曲で、Amazonのレビューに誰かが書いているとおりでした。もちろん他の静かな曲も存在感あります。「疾走」を聴くとなんだかスーパーファミコンの星のカービィスーパーDXを思い出すなあ……。

気になったのは「友情」。これ、数年前(2003年頃)にNHKの夕方のニュース番組で(『首都圏ネットワーク』だったかなあ)使われてたような気がするんですよね。放送を見たときに似ているなあとは思っていたのですが、CDで聴いてみて同じ曲だとわかり驚きました。一体いつ作ったんだ?この曲は。このサントラ集CDが発売されたのは2007年のようなので、この不思議なブランクが気になります。

ビジュアルを集めたジャケット画像ですが、なぜか解像度が低くジャギーが目立ち、どこの新人に任せて作ったんだ?電脳コイル側から画像を貰えなくてHPので済ましたのか?という想像さえ出来る出来です。どこかのブログにも書いてありましたが、このジャケットデザインはやっつけ仕事なのかそれともシンプルに作りたかったのかわかりません。ビジュアルのデンパが画像枠内に収まりきらず、はしょられていたのは何となく可哀想でもありました。

サントラ担当の斉藤恒芳と言う人は歌詞カードで、磯監督が「夕焼けの美しさと寂しい感じ」と言ったので、「この言葉で頑張ろう【曲を作ろう】という気になりました」と書いています。先ほども書いたとおり電脳コイルの色遣い自体が対象の彩度をおさえた(つまり夕焼けの)感じということもあり、サントラのほうも聴いていると確かにそんな感じがする音楽集です。で、私は今このサントラに流れる郷愁にハマっています。

勝手に理論に取り込んでみる

このアニメで使われている「意識」という言葉は私が昔書いた記事『あの夜空にかがやく無数の星たちのように……』の中の「魂」と同義のようです。電脳コイルでは「意識」が「アッチ」に連れて行かれるとこちらの世界の体は昏睡状態になります。この考え方は肉体と意識(魂)を分割して捉える考え方です。この作品も夜空認識に基づいて作られていると言えると思います。つまり脳という物理的器官がすべて思考や体を動かしているのではなく、人の心には何らかの「魂」的な物が介在しているという考え方です。

まとめ

電脳コイルに出てきた哲学に「痛みのある方向へ……」があります。締めとしてロマンアルバムのストーリーガイドのCHECK POINTの記述を引用してみたいと思います。
メガネに映るものを「偽物」だと切り捨てる大人たちの言葉を一度は受け入れるヤサコ。しかし、デンスケを無くした悲しみもまた「偽物」なのか? 確かに感じる心の痛み以上に、信じるに値するものとはなんなのか? メガネを卒業することで大人へのステップをあがる子供たちの中で、あえて逆らうことを選ぶヤサコ。誰にも阿ることなく、「己の信じることこそが真実」という意志を貫く彼女の姿に、磯監督のメッセージが強く込められているに違いない。
え、次番組はあさのあつこ原作……?

■(2008.6.18)

ラベル:電脳コイル
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2008年06月22日

電脳コイルかんたんハッキング(前)

dialog-warning.png以下の記述にはアニメ作品電脳コイルに関するネタバレ要素が含まれています。この記事は電脳コイルを見終わって、ロマンアルバムやサントラを買おうかどうか迷っている、または買った人向けのものです。

この記事は文の長さを確保したくて、引用を多くしてしまい劣悪な記事となっています。ただ、今のところどの程度修正するかが決まっていないのでこのまま載せます。

先日このブログのアンテナ欄で紹介して、再放送が最終回を終えたテレビアニメ『電脳コイル』。そのムック本(と言うらしい)とサウンドトラックを買ったので参考までに感想を。ほんとは一言欄かアンテナ欄でちょこっと書こうと思ったのですが、予想以上に長い文章になったので、記事にしたいと思います。ムック本の名前は『電脳コイル ロマンアルバム』、サントラの名前は『電脳コイル サントラ音楽集』です。

概説

まず、確認をするという意味で、概説を前書いたアンテナ欄から引っ張ってきたいと思います。

電脳コイル……現在NHK教育テレビで再放送中されている、磯光雄原案、脚本、監督のアニメ作品。電脳メガネという一種のユビキタスツールが普及している近未来の日本を舞台にし、小学生たちがある意味ホラーでサイバーパンクなトラブル【Wikipediaより】に巻き込まれていくというストーリー。コンピュータ用語が至る所で物語の設定に活かされており、独特の世界観は興味深い。ただし、その独特さからにより、途中から見た場合設定やストーリーが意味不明でもある。(2008.5.19→20)

コンピューター的なツールである電脳メガネという非常に未来的なツールを使いつつ、神社を初めとするオカルト的な深みのある要素もたくさんちりばめられているところがこのアニメの世界観の特徴だと思います。

ロマンアルバム

ロマンアルバムの話に移りましょう。ロマンアルバムは大型本というやつらしく、読む側にとっては視界が広くていいです。内容はデザイン中身ともに結構充実していて、コイルのファンなら買って損はしないと思います。内容の構成など詳しくはAmazonのレビューなどで調べてみてください。値段はピッタリ「2000YEN」でした。

ネット上で見つけたコメントなのですが、「表紙のイサコが少し笑っていて、それだけでも買いたくなりました。」と書いてあるものがありました。確かにそうなのですがしかし、表紙カバーを外したところに載っているラフでは、イサコは笑っていません。清書する段階で間違えたのか、あるいは意図的に笑っているように変えたのかだと思います。

『教えて! 磯監督』コーナーでは磯監督が電脳コイルを見ていると感じる疑問点について答えています。それくらい作中でわかるように制作しろよ、と言う気もしますが、わからないところがある、不思議なところがある、と言うのがコイルの良さなのかもしれないので、そこは微妙でもありますが。

うちの母親は「どんな作品にもメッセージがあるでしょ」と言って、ようは「この作品はどこにメッセージがあるのかわからない」ひいては「この番組のどこが面白いのかわからない」ということを暗示的に言っていました(……)が、ロマンアルバムの磯監督へのインタビューを読むと、そのコンセプトがわかります。他にも作品設定の後ろに流れるポリシーとでも言うべきものも書かれています。

電脳コイルの色遣いは彩度抑えめで、これは磯監督の好みだそうです。ただ、最後のヤサコたちが中学生になったときのエピローグの描写のシーンは、彩度高めにしたらしく、散っている桜のはなびらや緑の草など鮮やかな春の感じになっています。電脳コイルは最近のアニメにしては珍しく線が丸みを帯びていて、これが作画的に難しいらしく、これもコイルの特徴といえるとか。

キャラクター相関図で猫目からサッチーへの矢印に「くたびれたポンコツ」とあったのは笑えました。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

ラベル:電脳コイル
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2008年04月19日

時をかけつづける少女(4)

この記事は前記事の続きです。

追記:
――親戚の方にトキカケのDVD(通常版)を買っていただいたのでその感想を。

私はDVDというものはあまり買ったことがないので、トキカケDVDの通常版を実際に店頭で見たとき、「あれっ、これだけ?」と思いました。私は兄が前買ってきた『劇場版BLEACH MEMORIES OF NOBODY』(限定版)のような特典と付属品のてんこ盛りなものを想像していたのです。でも通常版はそうじゃないんですね。DVDは一枚で、テキストはかなり薄いものでした。

披露試写会の映像では、はじめて筒井康隆の顔を見ました。やっぱり舞台の上に並んでいた他の人よりは老けて見えました。結構他の人も面白いことを言っていたのですが、会場から笑いがこぼれたのは筒井康隆が「本のほうもよろしくお願いします」などと言ったときのみ。【後日注:もう一回視てみたところ、他の人の話でも笑い声はあったようです。】 原沙知絵が「七夕に願いをかけるなら何を願うか」で「世界平和を」、と言ったのが印象的でした。

ガーネットのビデオクリップを見たら、頭の中に「町中グランドピアノ殺人事件」と言う言葉が思い浮かんできました(失礼ながら……)。あれは変死体ではないのか。

前も書いたとおり私はDVDというものに疎いので、コメンタリーの聴き方がわからなくてちょっとばかり苦労しました。SET UPで設定すると、本編にかぶせて再生されるんですね。(映像データごと入れ替えるのと考えるとかなり合理的。) コメンタリーでは石田卓也が口下手だと思いました。前トキカケリフレクションで書いたTime waits for no oneを誰が作曲したかという話ですが、コメンタリーに寄れば細田監督自身が作曲したそうです。また、以前私がトキカケリフレクションで触れた真琴が千昭へ続く坂を駆け下る場面ですが、あれを録ったときのことを仲里依紗は「過呼吸になるかと思った」と話していました。

――千昭の子供時代を想像して描いてみました。

千昭子供時代想像図 - 時をかける少女

BLEACHを見ていて(読んでいて)たつきと一護の子供時代が出てきたので、「その人である」事がわかる状態で年齢を変えて描くのはどういう風に描き分ければ出来るのだろうと思ったので、描いてみたんです。面倒だから色はつけません。ほんとは真琴も功介も描いてみたのですが、出来がいまいちだったので。Inkscapeのカリグラフィーも結構いい感じになってきたような気がします。

■(2008.4.8)

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2008年04月17日

時をかけつづける少女(3)

この記事は『時をかけつづける少女(2)』の続きです。

――このブログで勝手にリンクさせていただいているMacソフト紹介ブログであるPIECESさんのところでPicLensというFirefoxの拡張機能を見つけたのでインストールしてみました。一見トキカケと関係ないような話ですが、そのPicLensという拡張機能はメジャーな画像検索サイトでフルスクリーンの3D表示を使ったインタフェースを提供してくれるもので、早速使ってみたかった私は「時をかける少女」と言うキーワードでGoogleイメージを検索してみたのです。

PicLensに文句をつけるとすれば、有効時のインタフェースから内容ページに飛べる機能が欲しかったです(もしかしたら私が見つけてないだけでそう言う機能もあるのかもしれませんが)【後日注:現在のPicLensにはこの機能はついているようです。(2008.8.5)】。ただ、もちろんこの拡張機能のメリットは感じました。トキカケの話ですが(脱線してすいません)、いろんな個人の人が描いたトキカケの絵が見れて面白かったです。私が描いた絵はヒットしませんでしたが……。

面白いサイトを見つけたので記しておきます。「Go with yuu!」サイトの「〜アニメーション映画 『時をかける少女』ロケハンの地を探して〜」ページです(直リン失礼!)。サイト管理者の人がトキカケに関わる様々なイベントに出席したときのリポートや、ロケ地の探訪、小ネタなどを載せてらっしゃいます。とても細かいところまで調べてあり、記事の題名には笑わさられてしまいます。機会があったら読んでみると面白いと思います。このサイト経由で、「時をかける少女問答集」と言うページのあるサイト「雑多なページ」も見つけました。このサイトではあり得ないくらい細かい設定や解釈まで吟味してありトキカケを極めたい人は是非目を通しておきたいです。これを見ると物語というものが膨大で的確な計算の上に成り立っていることを思い知らされます

ネットでいろいろ見てみたのですが、タイムリープカウンターのフォントをまねてつくって配布しているサイトがありました。「時をかける少女 デザインフォント TimeLeap」Second Wave

トキカケリフレクションを書いたとき、タイムリープについて検証すると宣言しておきながら、結局まだ書いていません。言い訳をしますと、参考となった画像がどこから手に入れたものがわからなくなったり(その画像を置くためだけにブログが開設してあった――他に何も掲載されてなかった)、自分が考えている時間の概念と世間の概念にはギャップのあるのでは?と心配になって書き出せないでいます。今日ネットを見ていて見つけた文章として[ http://www15.plala.or.jp/icepack/ ]に「『時かけ』は、単純な平行世界理論ではなく、それを越えた理論を想定してるっぽい所が良いと思う」と書いてありました(またまた直リン失礼)。詳しくは実際ページに飛んで読んで貰うとして、この記述は私が言いたかったことのうちの一つをわかりやすく表現してくれています。

この前ポン酢の瓶を見ていたら、使用例に「鉄板焼き」と書いてあったので、家族に鉄板焼きと焼き肉の違いを聞いてみました。うちではなぜか鉄板焼きではなく必ず「焼き肉」と言います。家族によると、魚介類など含めて何でも焼くのが鉄板焼きで、肉を焼くのが焼き肉だと言っていました。じゃあ、うちの焼き肉は鉄板焼きなんだろうか。

以上、鉄板焼きと聞いただけで朗らかな気分になるwhitecapsでした。――

■(2008.3.10)

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2008年04月13日

時をかけつづける少女(2)

この記事は前記事の続きです。

――今回ビデオを引っ張り出してきてみる動機になった原因のサントラですが、値段はCDショップで2500円でした(どこでもいつでもその値段であることを私が保証するわけではありません)。私がカウンターまで歩いていって「アニメ映画の時をかける少女の」まで言ったところまではよかったのですが「サントラのほうをほしいのですが」というと、ちょっとその店員の方はアセってました。どうもDVDの方はあったらしいのですが、サントラは置いてなかったようです。でも私は予約して取り寄せるのには慣れているので、全然問題なかったですが。(BLOOD+のサントラも前買ったのですが、こちらのほうも取り寄せでした。機会があればこちらのことも書きたいと思います。)DVDもほしいけど、高いんだろうな――。

サントラの感想。ちょっと編曲による音作りが濁っているかな(シンバルのあたり)とも最初は思いましたが、もちろん内容に関しては満足です。BLOOD+ OSTより安いですしね。ちなみに話は変わりますが、「OST」が「Orignal Sound Track」の略であることをBLOOD+ OSTのCD店の注文票を見たときに初めて知りました。これによってBLEACH OST1の「*~アスタリスク~OST ver.)」の言葉の意味をようやく理解しました。

さて、トキカケOSTの話に戻ればですが、聞き流しているとあまり印象に残らないけど、でも物語中の場面と思い浮かべながらリンクさせて聴くとその場面をまざまざと思い出させてくれて秀逸だと感じました。『タイムリープ』は映画の場面(真琴が電車に轢かれる)を思い出させてくれますし、『少女の不安』は川辺で悶々としていた真琴が一転タイムリープに踏み切る様子をダイナミックに描いています。『夏空』ではバージョンによって女性の声が入っているものがあります。一体誰の声なんでしょうね。

私は前、図書館で『時をかける少女NOTEBOOK』と『時をかける少女アートブック』を借りて読みました。NOTEBOOKはトキカケファンの必須アイテムの一つとも言われています。これら二つを読むとトキカケがどうやってつくられたか、それぞれの要素にどういう意図があったのかと言うことについて知ることができます。ちなみに本を借りたのは家の近所の市立図書館でした。その図書館で私がこれらの本をリクエストしたところ、市が財政難と言うことで、図書館が本を購入するという方法はとらず、他の市から本を引っ張ってきて用意して貰いました。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

リンクは全てAmazonへ。

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2008年04月11日

時をかけつづける少女(1)

※この記事にはアニメ映画『時をかける少女』のシナリオに関するネタバレ要素が含まれています。注意してください。まだこの作品を視ていない方はこの記事を読まないことを推奨します。

日(2008.3.10)昼から出かける用事があったのですが、何となく思い立って出かけるまでの午前中の間、昔テレビ放送から録画したトキカケ(アニメ映画版『時をかける少女』)のビデオを視てました。最近我慢しきれなくなってトキカケのサントラを買ったのですが、それが高じてまたビデオを見るという暴挙(?)にでたのです。いや、もちろんもう一度見てはいけないなんてことはもちろんないのですが、感動の安買いは良くないと思ったので、時期的に間隔を空けずに見るのは良くないのではないかと思っていたということです。それにもう既に二度視たものを視ても、面白くないのではないかなと思いましたし。今回はたまたまリビングに兄もいて、一緒に視ることになりました。

結局、結論は、「トキカケは面白い!」と言うことでした。ギャグが至る所にちりばめられていて笑えましたし、千昭が時間を止めるところでは登場人物の心情を感じて目頭が熱くなりました。兄も結構楽しんでくれたようで良かったのですが、その兄が視ている間に既に買っていたコミック(琴音らんまる作)を持ってきてくれました。読んでみるとほとんどアニメ映画のほうと内容は同じでした、それで兄は既にトキカケのストーリーを知っていたことを私は知ったわけです。もしかしたら兄は実はビデオのほうはあまり楽しめなかったのではないかとも私は考えましたが、さてどうだったでしょうか。

コミックは先ほど言ったとおり内容はアニメ映画とほとんど同じだったのですが(どっちが元かというと映画のほうが元になっているそうです)、細かいところで差異があり、最後の千昭との別れの場面が東京タワーになってたり(この前学校の行事で行ったところだ)、芳山和子の話が少しばかり詳しめに描かれていたりしました。(真琴と高校時代の芳山和子って似てるのか?) 著作権の問題でもあったのかそれともただ単にそうなのか、作中のタイムリープカウンターのフォントデザインが違っていました。ちなみに、コミックはもう一種類あるそうです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

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2007年08月16日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(6)

この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は前記事の続きです。この記事には不確実な情報が含まれています。

〈トキカケを編む〉
私は小説などの物語を作るときは、「編む」ことが重要だと思っています。「編む」とは、思いついたストーリーに合わせて主人公や場所の設定を行っていくと言うことです。これはたとえば先に主人公や場所の設定を行ってストーリーを作り上げる方法の逆です。

このトキカケでも、長い坂のさきに踏切があるという場所がありましたが、これは真琴や功介たちがあのような事故に「見舞われるように」設定された「編む」ことのための小道具といえます。しかも時間が来ると機械の人形の集まりみたいなものがアーケードの上で動き出します。これも真琴が時間を戻ったと言うことを強調するための仕掛けです。

編むと言えば、真琴がタイムリープの残数が回復していることに気づき、千昭のもとへ跳ぶのも、テントウムシが真琴の腕にとまってくれたから残数に気づいたといえます。このテントウムシもまさに編むため。どの物語もそうですが、このトキカケも設定や場面の展開をよく「編んで」ある物語なのです。

〈声優の力〉
真琴が千昭のもとへ、夏空のもと息を切らしながら走っていく場面があります。声優である仲里依紗は制作過程で、ここで息を切らしているといったふうな声を録音したのだと考えられますが、もしかしてこれは全部一続きの録音なんでしょうか? ある程度の長さだけ録音して、それを合成してつなげるという方法もとれることと思いますが、もしこの場面全部一続きで録音しているのだったら、仲里依紗の苦労は、すごいと思います。

〈tokikake@web〉
トキカケには公式ホームページがあります。そのページの背景画像なんですが、貞本義行が描いたイラストがそのまま分割もされず背景画像として使われています。しかも画質もそんなに悪くありません。果たしていいんでしょうか、これを公開してしまって……。画像の右側の方は後から青空を書き足したと言うことはわかりますが。

トキカケホームページのブログには、海外でも放映されているトキカケの4ヵ国の翻訳が載っています。たとえば「俺は功介のこと話してんだよ」は英語では「I'm talking about Kosuke.」です。この中にナイスの日をテレビのアナウンサーが説明している場面があります。日本語では7月13日がゴロでナイスの日だというわけです。でも海外の人には説明してもわかりませんよね……? なな、いち、さんって言っても。

〈終わりに〉
かなり長くなりましたが、このトキカケリフレクションはこれで終わりです。

視聴したときは、トキカケのおかげで朝から泣いてしまいました。ほんとは夜見るのが良かったんですけどね。そちらの方が後は寝るだけなので、じっくり反芻できます。

全く関係ない話になりますが、このトキカケの映画などを見ていると私は、人間というものは苦しみを背負う運命を持ったからこそ、喜びを感じることができるのだろうかと、ちょっと考えたりします。どんな長い時の中でも、その感情の変動こそが、この世界において深遠の意味を持つのではないかと。

◆ ◆ ◆

忘れられない夏の思い出
友達との何気ない会話
そして突然やってくる恋

時も空間も超えて、この言葉を届けよう
Time waits for no one.
あの見上げた、青い空にかけて

■(2007.7.22)
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2007年08月12日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(5)

この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は前記事の続きです。この記事には不確実な情報が含まれています。

〈検証・タイムリープ〉
――タイムリープについて設定の揺れがあるところがあります。予告篇では芳山和子は「時間って戻すことはできないでしょ。でも真琴にはそれができた。」といっています。これに寄れば、「真琴は時間を戻せるんだ」という解釈になります。しかし本編では、「時間って戻すことはできないでしょ。でもタイムリープを使うと過去の時間に跳ぶことができるの」といった感じのことを言っています。これは「真琴は時間を飛び越えられる」ということになります。これは、周りの人の時間が戻るかということに関わってきます。「時間を戻せる」、なら周りの人の時間も戻り、「時を飛び越えられる」なら、真琴だけが過去に戻ることになります。

世の中に出ている数ある物語の中で時間を扱うものは、大抵時間という概念の扱い方についてルーズです。たとえばトキカケの場合能力を持った人は時間を戻すことができたわけですが、そのときタイムリープをした当人の脳内の情報は時間を戻ってもタイムリープする前の状態に保たれます。先ほど言った時間を飛び越えられると言うことなら、体ごと時間を跳ぶわけですからそれも当然でしょう。そのことによって「戻った時間から見た未来」(つまり「戻る前の時間」)に起こる事故を回避することができるわけです(真琴のように遅刻を回避したりとか)。しかし、「周りの人のも含めた、時間を戻すことができる」という能力ならどうでしょう。単にその考え方で時間を戻るとした場合、物理世界の法則に則って、時間を戻る前あった最新の脳内の情報は失われてしまうと考えられます。脳内の情報も過去に戻ってしまうからです。つまり時間を戻ったところで「時間を能力を使って戻した」という情報さえ頭の中からは失われ、場所も跳ぶことはできず、もう一度全く同じ生活を送るというはめになります。対応を変えて状況を変えることはわずかもできないのです。

また、千昭は時間を止めましたが、これは厳密に言えばおかしいことかもしれません。まず第一に真琴にできなかった時間を止めることがなぜ千昭にできるのか。第二に、時間が止まっているならその止まっている時間の中では体を動かすことはできないはずではないかということです。しかし実際は真琴も千昭も美術館まで行ったりと、周りの人たちが止まった中で、いろいろと動き回っています。

芳山和子は果たしてタイムリープの影響を受けているのでしょうか? 劇中では真琴が何回も和子の所を訪れ相談に乗ってもらっています。単に劇中でははしょってあるだけなのかもしれませんが、最初タイムリープの存在について真琴が聞いたあと、その前の時間に真琴がタイムリープで戻った後また来ても、再度和子は同じことを説明していません。しかし後に、「真琴は千昭君のことが好きなんだと思ってたけど」と「真琴は功介君のことが好きなんだと思ってたけど」と似たような言葉を発しているので、タイムリープの影響は受けているのかもしれません。

千昭は野球もなくなってしまうような未来から来たということなので、真琴達がいる時代では習慣が違ってとまどうこともあるのではないでしょうか。たとえば千昭は自転車に乗れますが、未来には自転車はあるのでしょうか。言葉というのは時代と共に変わるものですが、それでも千昭は未来語を話したりしません。ちゃんと現代の高校生の言葉を使います。

トキカケにおける時間の概念については後日詳解するつもりです。

〈クレジット〉
私はクレジットを見るのがが好きです。といってもクレジットカードじゃなくて、その作品を誰が作っているかと言うことです。私は今回、クレジットをテレビ放送とは別のソースから得ました。なので、ここで述べていることはテレビ放送のクレジットとは違う部分もあります。

千昭役の声優は俳優である石田卓也という人です。この人の声になにか聞き覚えがあったような気がしたので、Wikipediaで調べてみましたが、私の知っている人ではないようです。早川友梨役は垣内彩未が声優を担当しています。NHKの朝の連続テレビ小説『ファイト』で黒木里夏役をやっていた人です。

キャラクターデザインを担当しているのは『新世紀エヴァンゲリオン』製作にも関わった貞本義行です。といってもわたしはこの人のことも知りませんし、エヴァンゲリオンは見たことないので何とも言えませんが。わたしはいま「iTunes Store Ranking」というソフト(Macintosh用)を使っているのですが、このソフトではコンピュータ会社アップルが運営している音楽配信サイトiTunes Storeの歌のジャンルごとのランキングを試聴しながら自動で表示できます。このソフトでジャンルを「Anime」にしてランキング表示させると、劇場版の噂のせいなのか、エヴァンゲリオンの歌が上位に入ってきています。(動画配信サイト「BIGLOBEストリーム」でも現在、エヴァンゲリオンが配信されているようです。)(※いずれも執筆時点)

自分は真琴役声優の「仲里依紗」という名前は「仲里」が名字で「依紗」が名前だと思っていました。ほんとは「仲」までが名字です。つまり分けて書くと「仲 里依紗」となります。また、名前まではわかりませんが、劇中の先生役で、立木文彦と言う人が声優を担当しています。この人は銀魂で長谷川さんをやっている、他の多数のアニメでも精力的に活動している人です。

私は最初トキカケは製作スタッフはかなり少人数で作ったものだとばかり思っていました。ホームページなどの情報源であまりスタッフの記述が多くなかったからです。しかも、「制作費に制限があった」という話も聞いていたので、てっきり最少の人数で作ったものだと思っていました。しかし実際にトキカケのクレジットを見てみて、非常に多くの人が製作に関わっていたと言うことがわかりました。

クレジットによると、劇中の芳山和子がつとめる美術館に所蔵されていた、千昭が未来からやってくる動機にもなったあの絵は、ちゃんと「白梅二椿菊図」と言う名前がついているようです。これもその名前と共にクレジットに描いた人の名前が載っています。――この絵を描いたのは外部の人なんでしょうか、それともアニメスタッフが自前で描いたんでしょうか。さすがに膨大なクレジットの中にこの絵を描いた人と同じ名前がないかなんて探す気にはちょっとなれません。

ちなみに、クレジットの中に「杉並区役所 産業振興課アニメ係」というクレジットを見ることができます。行政がアニメ制作の振興を目指していると言うことでしょうか。こんな担当まで用意するなんて、積極的ですね。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

〔後日注:千昭は自転車に乗れるのはなぜだろうかと書きましたが、劇中の回想シーンに千昭が真琴たちに自転車の練習を付けてもらっているシーンがあったようです。真琴たちがなぜ高校生にもなって自転車に乗れない千昭を不思議に思わなかったか謎ですが。(2008.2.21)〕
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2007年08月09日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(4)

この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は前記事の続きです。

〈おまけ〉
――千昭がカラオケで歌ってたのは『Times waits for no one』。誰が作曲したんでしょうか。クレジットには書いてありません。(千昭、果たして歌がうまいと言えるでしょうか?)

予告篇にもでている場面で、「くすもと薬局」という薬局の広告が電柱にたくさん貼ってあるのが気になります。なんで「くすもと」と言う名前を選んだのか、なぜあんなにたくさんの電柱に貼ってあるのかが気になるところです。

また、芳山和子が勤めている美術館では、「ベルリンの至宝展」が行われるようです。

あの坂道の商店街のアーケードに書かれていた「倉野瀬商友会」ですが、Googleマップで「倉野瀬」と検索してみましたが、ヒットしませんでした。実際にある地名ではないようです。

未確認ですが、劇中にはauの宣伝やABC Martの店などが出てくるようです。普通、協賛でも特別協力でもしない限り、実際にある店の名前は独自に変えるなりアレンジをして、出さないようにするものです。が、このトキカケでは実際の世界の現実感を持たせるためなのか、実際の企業の名前をそのまま出しています。

〈主題歌〉
この映画の主題歌は奥華子の『ガーネット』です。やはりこの曲はこの映画のイメージと合っていると思います。奥華子というアーティストは私はこの映画の予告編を見て初めて知ったので、「こんな人がいたんだ」と思いました。わたしは予告篇では『ガーネット』の詩は、こちらも一般的な恋を歌っているもので、あまりトキカケそのものには関連のない詩なのかなと思っていました。しかし、クレジット(以後参照)を見た時に予告篇に含まれていなかった歌詞を実際に聴いてみて、『ガーネット』が「時」をテーマに作られた歌詞を含んでいて、このトキカケそのもののテーマにもリンクがあることがわかりました。ちなみに「ガーネット」はWindows+IEユーザーの方は、音楽配信サイトListenJapan[ http://listen.jp/store/ ]というサイトで試聴することもできます。

真琴がタイムリープの残数が回復したことに気づいて、千昭のもとへタイムリープするとき、坂道をかける真琴のバックで流れてくるのが、同じく奥華子の歌である『変わらないもの』。この物語の一番盛り上がるところを飾る、切ないようなそれでいて希望に満ちた歌です。真琴の走りとこの歌は、相乗効果で疾走感を見るものに与えてくれます。

これらの二つの曲はメロディーにこそ違いはあれども、しかし歌詞は似すぎているかもしれないとも思えます。最近私は(奥華子に限らず)いろんな歌を聴きますが、使われているフレーズはやはり他の曲でもどれも似ているのです。これはこのトキカケのテーマ曲に限った話ではありません。これは人間が求める歌の歌詞のセオリーが、結局は同じと言うことの表れかもしれません。

〈絵の描き方〉
真琴の口の描き方にはコミック独特の強調表現が使われています。つまり、口をあんぐりと開けた表現です。一般に私はこのノリのアニメではあのような口の描き方はしないと思いますが、この口の描き方は、真琴の元気さと快活さを強調する効果を生み出していると思います。

このトキカケでは、普通のアニメではあるたとえばアゴの陰などが描かれていません。木漏れ日など人物全体としての照明効果はあるのですが、人物のそれぞれの一部分でできるはずの陰は描かれていないのです。これはトキカケの絵に淡泊さとさわやかさを与えています。誰がこういう方針で絵を描くと方針を決めたんでしょうか。

また、トキカケでは背景の人の顔や動きまで丹念に描かれていると私は思います。普通、背景の人はあまり重要ではないので、動きを止めた状態のまま省略したり、キャラクターデザインもどちらかというと適当に済ませてしまう傾向があります(そのせいで主要キャラクターと顔が似ている背景の人がいたりして)。これらは制作の手間を省くためのもので、決して悪いことではないですが、トキカケの場合はこれらのものも手間をかけて非常に的確に描いています。

功介と果穂が踏み切りに突っ込んだ後に、千昭が時間を止める場面があります。しかしここで質問してみますが、時間が止まっているというのはどこからわかるのでしょうか? 確かに背景の人物などが全く動かなければ時間が止まっているのだと捉えることはできます。しかし、先ほど言ったとおり背景の人物はもともと動きを省略される傾向があるので、これでは不十分かもしれません。(とはいっても、普通動きが止まらないこぼれた水や、鳥が飛び立っているところが止まっている表現があるので、この点については十分といえますが。) この千昭が時間を止めているという表現は、動きを止めるだけではなく、「背景の色を薄くする」ことなどによっても表現されているのです。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。

〔後日注:私は知らなかったのですが、「Time waits for no one」という有名な曲が既にあったからこの映画にでてきたのだそうです。その曲はとても有名な曲で、それを主題歌になんか使ったら制作費が吹っ飛ぶほどだとか。(2008.2.21)〕
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2007年07月31日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(3)

この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は前記事の続きです。ここで取り上げたトキカケの中のセリフは正確でないところがあるかもしれません。

〈まだわからない〉
――私にはまだトキカケの設定でわからないことがいろいろあります。そもそも私は物語を読んだり視聴するときは、理屈を突き詰めて考えたりしない方です。そうすると物語の展開に思考が追いつかなくなるし、それによって話がつまらなくなってしまうからです。(だから私は推理小説を読んでも推理もできず、犯人を当てることもできません。) なのでわからないところがあってもとばします。いちおうそれでも物語は楽しめるのです。最後に「ああおもしろかった」となるのはいいのですが、しかし困ったことに設定は厳密には理解できていません。なのでこのトキカケでも二回も見ても、まだまだ設定を理解していないところがたくさんあります。

あの美術館に置いてあった絵で、千昭が見たかったというあの「白梅二椿菊図」は、未来とどう関係があるのでしょうか? 千昭が言っていた「未来に野球はない」という言葉はどういう意味なんでしょうか? なぜ過去の人間にタイムリープの存在を知らせてはいけないのでしょうか? いったい千昭のいる未来はどうなっているのでしょうか? わかりません。原作のほうに何かヒントがあるのかもしれません。

未来の話ではないですが、あのタイムリープの能力をチャージするための機械についてもわからないところがあります。あの機械は、つぶしたときにチャージされるものなのでしょうか。使用済みかどうかは、中が赤く光っているかどうかで判断するのでしょうか?、真琴は千昭の手のひらの上であの機械をつぶしますが、これによって千昭にチャージされたと言うことなんでしょうか(*1)、それとも既に使用済みだからつぶして壊したのでしょうか? わかりません。

〈名台詞〉
トキカケの中に出てきた名台詞を紹介しましょう。といっても格言のようなものではなく、状況的に心に来る言葉のことです。このなかには書いていないですが、先ほど書いたラスト近くの千昭と真琴のやりとりも、名台詞でしょう。

物語の最初の方で遅刻しそうになった千昭と真琴に、口元にすずしげな笑みを浮かべながら功介がこう言います。

功介「いっそ遅刻した方が清々しいな

毒味がある言葉でありつつも、三人にはそれが許されるだけの友達関係があるということです。

お次も最初の方の場面から、功介がバットを軽く振って準備しながら

功介「チャーチャーカチャッカーカ チャーチャーカチャッカーカ チャーチャーカチャッカーカカー」(あの有名な野球の声援の曲のまね)(*2)

でもとんできたのは野球のボールじゃなくてバスケットボールでした。倒れ込む功介。

千昭に真琴の友達である早川友梨という彼女ができたせいで、功介と真琴は二人だけでキャッチボールをします。真琴がなぜ功介は彼女を作らないのかと聞くと、

功介「だって俺に彼女ができたら、真琴が一人になっちゃうじゃん

腰に手を当て(だったかな?)、真琴の方を見ます。

次は千昭、「人をバカというなんて失礼だな」と千昭が言った後、真琴が「でもいつも千昭は私のことバカって呼ぶじゃん」というと千昭が一言、

千昭「俺のは愛情表現だから。

千昭は冗談で(実際はそうではない)言ったつもりだったのですが、しかし千昭の告白を知っている真琴は、固まります。そしてその固まっている真琴を見た千昭は「なんだよつっこめよ、寒ぃだろ」といいます。

次は

真琴「よっしゃ!

です。これはタイムリープの能力を使って功介と後輩藤谷果穂の出会いを取り持とうとして、いろいろ工夫した後に成功して言う言葉です。ガッツポーズつき。

その次は真琴が千昭に思いを告げるため、千昭を未来に帰れるようにするため、タイムリープして、そのタイムリープ中に千昭に関する回想シーンが現れるところです。

功介(?)「おい、聞いたか、あいつ今真琴って呼んだぞ

劇中には実際のその場面としては出てきませんが、この回想シーンで真琴と千昭の出会いと、その後友達になるまでが明らかになります。今は仲の良い千昭も最初は真琴のことを名字で「紺野」と呼んでいたようです。

最後は、千昭が時を止めた状態で、「明日から俺、姿くらますから」といい、真琴が「あたしの浴衣姿見たくないってわけ?」と聞くところです。

千昭「ごめん、それちょっと見てえ。

しかし千昭は時間を動かして交差点の人混みのなかに消えていきます。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後分として載せるつもりです。

*1:私が書いたこの記述はたぶん間違っています。この記事を読んだ人、すみません。機械がつぶされたときは既にこれは使用済みでした。真琴がタイムリープで過去に戻って千昭のもとへ走ったのは、私が勝手に考えていた、未使用の装置を千昭が使えるように持って行くと言うことではないです。これは、真琴が「千昭だって同じはず」と言っていたとおり、真琴が時間を戻して千昭のチャージを回数が残っている状態に戻すためと言うことです。
*2:正確には「チャ」と「カ」ではなく両方とも「チャ」です
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2007年07月28日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(2)

#この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は前記事の続きです。

〈作品設定〉
――この『時をかける少女』は筒井康隆の同名小説が原作です。アニメ映画版では、原作の約20年後の現代を物語の舞台にしています。ヒロインも現代の高校生です。ちなみに原作の主人公芳山和子もアニメ映画版主人公の紺野真琴の叔母として登場しています。和子は真琴の良き相談役です。

このトキカケのなかで一番重要な要素といえばもちろん、「タイムリープ」でしょう。映画を見た方はわかると思いますが、タイムリープとは過去(に限らないらしい)の時間に跳んだり、あるいは時間を止めたりできる能力のことです。時間を跳ぶと同時に場所もとぶことができます。タイムリープの能力を身につけた主人公紺野真琴は、最初は遅刻を回避したりなどささやかな私利私欲のためにその能力を使います。が、男友達である千昭からの告白など、大事な部分でもこの能力を使い、この告白をなかったことにしてしまいます。この映画の見所は、千昭の告白をタイムリープでなかったことにしてしまった後、告白するはずだった千昭の心中を真琴が察し、自分の千昭への恋心に気づくところです。

〈プロット〉
この映画を見始めた最初の時点で感じたのは、主人公達の軽妙洒脱な会話です。主人公の真琴・その男友達の千昭と功介の会話がとても軽妙なやりとりで、私にとっては楽しく感じられました。私は今自作中編小説を書いていますが、会話の洒脱さが足りません。このトキカケ並みの洒脱な会話が私の小説にも欲しいものです。

劇中で真琴はタイムリープの能力を使ってカラオケで10時間踏ん張ったり(当人談)、遅刻を回避したり、ボランティア部の後輩藤谷果穂の功介への告白を、タイムリープの能力を使って取り持とうとしたり、(何度も失敗するが最後は成功する)、存分にタイムリープの能力を利用します。特に果穂の功介への告白を取り持とうとする場面では、真琴が本来タイムリープがなければ知らないはずのこと(果穂が功介を好きになった理由など)を果穂達の前でしゃべってしまったりするところがおもしろいところです。

先ほども書きましたが、真琴は千昭からの告白もタイムリープでなかったことにしてしまいます。千昭の告白を聞いた後の場面中の、真琴の千昭へのぶっきらぼうな態度は、見てる方としてはなかなかに笑えてしまうような感じもしますが、でも同時に切なく感じるところかもしれません。

このトキカケの中でもっとも重要な場面といえるのは、功介とその彼女になった藤谷果穂が真琴の壊れたブレーキのきかない自転車に乗って坂を下り、電車の近づく踏切に突っ込む場面でしょう。真琴はタイムリープの能力を使い切っていてそれを戻すことはできません、あわやという時、実は未来人だった千昭が能力を使い、自転車の二人は事なきを得ます。

私はWikipediaで事前知識を仕入れていたので、特に原作に関わるストーリー設定は知っていました。なので、功介か千昭のうちどっちかは未来人だろうと見当を付けていました。でも自分の予想では功介が未来人ではないかと勝手に推測していたので、千昭の方が未来人だとわかったときには、ちょっと驚きました

真琴が千昭のもとへタイムリープするときの回想シーンの中で、心に残ったシーンがありました。シトシト雨を受けながら咲くアジサイの道を、三人で一つの傘に入りながら歩いていく、その後ろ姿を映した場面です。このシーンは非常に情緒的であると思いますし、三人の仲の良さ、友達としての優しさが表れていると思います。

このトキカケの中で一番ロマンチックなセリフを取り上げるとすれば、この二つでしょう。ラストの近くで、千昭が真琴の顔を引き寄せながら、ささやきます。

千昭「未来で待ってる――」
真琴「うん、すぐ行く、走っていく」

言ってくれますね! この言葉のおかげで真琴は心残りなく青い空を見上げながら、さわやかな気分でエンディングを迎えます。この言葉からこのトキカケのキャッチコピー「待ってられない未来がある」の意味が明らかになります。最初私は一般的な意味としてだけ捉えていたのですが、物語とも実際にリンクしているのだとわかりました。このセリフの場面は、ちょうど真琴がなかったことにしてしまった千昭の告白の時と同じ、夕日に照らされて光る川の背景です。――


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2007年07月25日

トキカケリフレクション「青い空にかけて」ver.2(1)

#この記事にはネタバレ要素が含まれています。アニメ映画『時をかける少女』をまだ見たことがない人でこれから見ようと思っている人は注意してください。この記事は新しいバージョンの記事に更新したものです。

〈はじめに〉

7月21日、フジテレビ系列で劇場版アニメ『時をかける少女』(以下トキカケ)が放映されました。「アンテナ」にも書いていたのでこのブログをいつも読んでいる人は知っていますね。私はMacのカレンダーソフトであるiCalに何週間も前からこの予定を書き込み、楽しみに待ってました。(関係ない話ですが、おかげではじめてiCalの使い方を知って、他の予定でも非常に役に立っています。)

〈はじめてトキカケを知ったとき〉

私がトキカケを知ったのは、たしか新聞にこのトキカケを紹介していた記事を読んだのがはじめです。コンピュータ会社アップルのサイト『QuickTime Trailers』でも予告篇が配信されていました。この予告篇はだいぶ前からあるもので、これがどこか心に残っていたのですが、私はずっとはこの映画のことは忘れていました。最近もう一度その予告篇を見、トキカケの公式ホームページを調べてみて、今回の放映を知ったわけです。

〈トキカケへの期待〉
この『時をかける少女』は名作だ名作だと言われていたので、期待はしていたにはしていたのですが、「期待すればするほどつまらなく感じるだろうなあ」と思っていました。最近はそうでもないですが、昔はよく期待していた番組が実際に見てみるとあまりおもしろくないなんてことがありました。なので、本当におもしろい作品なのかどうか心配していたのです。でも実際見てみるとそれが全く心配無用だと言うことがわかりました。やはりこの作品は名作だったのです。小泉前首相じゃないですが、この作品には感動しました。

私は予告篇を何度も見たので、劇中の場面もその予告篇に含まれている場面ばかりでちょっと飽きるのではないかとも思ってましたが、これも心配無用でした。ちゃんと予告篇にない場面もたくさん含まれており、バリューがありました。

〈録画苦労話〉
わたしは確実にこのトキカケを見るためにいろいろと努力をすることになりました。先ほども言ったとおりMacのiCalに数週間前から予定を付け、何日も前に新聞の一週間の予定テレビ表を確保して、前日にGコードで(時間設定の方法でも問題なかったでしょう)予約録画したのです。しかしこの予約は家族の誰かによって取り消されてしまったので、もう一度放送当日に予約しました。(アブないアブない。) うちはまだDVDレコーダーというものがなく、ビデオデッキですのでテープは二時間以上録れるように3倍に設定しました。でないと2時間以上ある映画ですので最後が切れてしまうでしょう。このことに録画中に気づいたので、あらかじめ3倍で予約設定していたかヒヤヒヤものでしたが、ちゃんと3倍になっていました。できれば当日にで見たかったのですが、父親がサッカーを見るというので、次の日である今日(7月22日)の朝に見ることになりました。もしビデオがちゃんと録れてなかったらTSUTAYAに行って借りる覚悟でしたが、一応ちゃんと録画できていたので、その必要はなく助かりました。

ビデオテープが新しいものがなかったので、使い古したテープの中から適当なものを選んで録画に使いました。前使ったときにそんなに劣化があるように思えなかったので、そんなに画面は乱れないはずだと思っていましたが、実際は視聴するときに画面がかなり揺れました。DVDならこんなこともないんだと思いますが、ビデオでは仕方がないでしょうか。表示が乱れたビデオの映像には慣れているのでどちらかというと気にならなかったと言えばそうですが、画面が乱れるのはテープの最初の方だけと思っていたので最後の方ではちょっとイラッとしたのも事実です。(テープのうち最初の方は前に入れた番組が何遍も書き直されているためテープの劣化が激しいだろうと考えたためです。)――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後分としてに載せるつもりです。 
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2007年06月29日

BLOOD+に学ぶ、アニメに躍動感を与えるもの(5)

この記事は前記事の続きです。

――「画面の揺れ」については前のコラムで書いたので割愛する。BLEACHのオープニングを見たところ、これは画面の揺れだけでなくほかにノイズ(かすれ)も入っているらしいということがわかった。また、陽炎のようなエフェクトも使われているかもしれない。エフェクトと言えば夕暮れの表現や先ほど言った雪の表現、彩度を落としたりなど、アニメの最終調整には不可欠だ。

BLOOD+とBLEACHには刀が効果を持っている。刀の持つ鋭さが、作品のイメージにそのまま影響している。刀とアクションの組み合わせは大きな躍動感を持つ。

アニメでは人物の表情も命だ。目や口、眉の表現で感情を表す。同じ登場人物でもそのときの感情によってそれと視聴者にわかるように表情の描き方が変わる。NARUTOの映画を見たことがあるが、その中に出てきた酒で酔った女の人(実は一国の姫)の表情の描き方は、とてもうまいものだった。BLEACHでは映画「MEMORIES OF NO BODY」上映期間中に、特別に映画の劇中の絵を使ったオープニングとエンディングをテレビで放送していたが、この中のエンディングの最後、映画の劇中の主人公の女子高生の目の描き方(目の黒い輪郭を太くする)は、その登場人物の感情をよく表している。ちなみにこれには目だけでなく顔の動きや眉や口の変化も表情として効果を与えている。そして表情のほかにも「まばたき」も意外と重要だ。BLOOD+でもColors of The Heartのオープニングの一番最初の所での小夜がまばたきしていたり、雷音でリクの姿のディーヴァと対比して描かれているところでまばたきをしていたり、よく使われる。(ここの小夜の顔は何とも言えないほど悲しそうだ。)まばたきの効果はさっき書いた劇場版BLEACHの場面でも同様だ。

画像にCG的エフェクトを書けるときレイヤーのことは外せない。もしレイヤーがなかったらろくにグラデーションも絵に掛けられないアニメになってしまうだろう。不要な労力が掛かるだけでなく、アニメの躍動感を生み出す数々の画像エフェクトもレイヤーがなければ成り立たない。CGに不可欠の透明度、ぼかし、影、そしてフレアなどは、レイヤーがないと作れないのだ。

以上が私が見つけた「アニメーションに躍動感を与えるもの」である。結構長く書いたつもりだがまだまだ私が見つけてない要素があるかもしれない。これからも、強い躍動感を持つアニメが現れて、私たちを楽しませてくれることを願いたい。■


(2007.6.5)
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2007年06月26日

BLOOD+に学ぶ、アニメに躍動感を与えるもの(4)

この記事は前記事の続きです。

――BLOOD+は光の効果もうまい。米軍の爆撃機が小夜の通う高校の上を通り過ぎていったとき、校舎と校庭にいっしゅん影が映る。しかもちょうど校舎と校庭に移る影が立体的に折れ曲がる形で映るのである。夜、蛾が電灯にとまっているときも、その影が非常に大きく壁に照らし出されていた。

私は時々漫画的な絵を描いたりするが、いかんせん立体が描けない。立体を描くことはアニメや漫画を描く上で必須の能力である。今現在の日本のアニメというのは、もちろん絵は立体を表しているわけだが、しかしコンピューター上で3D技術で構図を組み立てているわけではない。(『FREEDOM』は別。BLOOD+などでも劇中に出てくる一部の小道具にはコンピュータの3D技術も使われていると思われる。) この三次元は人間が頭の中で計算して作られているものである。私は今回アニメの躍動感について書くにあたって、アニメの躍動感とは2Dの絵で3Dの構図を描いているから生まれるのかもしれないと考えた。これはアニメ銀魂の古いオープニングで主人公の銀時がゾンビと夢の中で戦っているところを見て思ったことである。しかし、私はすぐにこれを撤回しなければいけなくなった。なぜなら、それはBLOOD+の劇中で離陸するヘリコプターの場面を見たからで、それは非常になめらかなで正確で立体感のある動きをしていた。コンピュータの3Dの技術を使っていることは間違いないだろうと思う。3Dでも画面の中で浮いたりはせず、深い色の描き方で画面にとけ込んでいた。

BLOOD+をはじめとする複数のアニメで、「一人称視線」が使われている。これは劇中の登場人物(主に主人公)の視線で構図をとった絵を挿入するという方法だ。たとえばBLOOD+でははじめの回の方で小夜の記憶のかけらの絵として「動物園」が出てくる。この場面では小夜が動物園のツタの絡まる古びた建物の中を走っていって、ディーヴァの幽閉されている部屋の鍵を開けるというところまで、この一人称視線で、つまり小夜の視線での絵で描かれている。アニメ『アイシールド21』でもアメフトのゲーム中の場面で主人公のセナが敵をかわすルートを直感でつかみ取る場面(黄緑の光の道が見える)やタッチダウンに近づく場面などで、この一人称視線が使われている。この効果もアニメに躍動感を与えているだろう。

特にオープニングやエンディングなどで、画面に華やかさを与えるという意味、また画面中の空白部分を埋めるという意味でも「舞うもの散るもの」が使われる。その舞うものや散るものとは、具体的には雪であったり、桜の花びらであったり、葉っぱであったり、汗が飛んでいる様子(小夜の高飛びの場面)であったりする。そもそも人間は舞うものや散るものを心地よく感じる傾向があるようで、ハラハラと舞い落ちていくものは一般的に美しい。また、これと関連して「」の表現も多用される。登場人物の服や髪が風にハラハラと揺れているなどと言うことはよくあることだ。――

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2007年06月23日

BLOOD+に学ぶ、アニメに躍動感を与えるもの(3)

この記事は前記事の続きです。

――アクションはBLOOD+をはじめとするアニメで主要な位置を占める要素である。考えてみれば、アニメが持つメディアとしての特徴は、漫画やドラマよりより自由な発想で大胆で激しい動きを表現することが可能だということが言えると思う。漫画はコマ割りや効果線などの工夫があるにはあるが、やはりもとが静止画なので動きを表現する点についてはアニメに劣る。ドラマは実写な訳で、自由な発想に撮影技術がついていかない。(もちろん特殊効果やワイヤーアクションなどというものはあるにはあるが……。) BLOOD+はそのアクションを最大限にまで活かしたアニメであるが、バトルシーンだけでなく、たとえば小夜の高跳びのシーンなどもアクションの一つといえるだろう。

久しぶりにBLOOD+を視聴してなんとなく思ったのは、「絵が濃い」ということだ。物語の最初の舞台が沖縄と言うこともあって、明るく照らされた太陽の下、彩度の高い背景の絵になっている。しかし、絵が濃いというのは彩度が高いからだけではないかもしれない。独特の絵のタッチというか、影が濃いというか、細部までよく塗ってあると感心する。これはBLOOD+の絵に深みを与えている。前も書いたが、この表現はドローだけでは再現できない。ペイント系のソフトの力が必要だ。大抵、日本のアニメは背景はペイントで描かれているものである。昔、テレビで中国のアニメの一部を見たことがあったが、それは背景もドローで描かれているものであった。

テレビでは私は意識しなかったかもしれないが、今回インターネットで視聴してみて印象に残っているのは、音の表現である。私は今回BLOOD+を視聴するときにイヤフォンをパソコンに繋いで視聴した。そこで気づいたのは、ステレオの威力である。小夜をバイクに乗せたカイが海辺を走っていく場面があるが、そこで使われていた曲をはじめとしてBGMの音に広がりと深みがあった。ほかにも、品質の高い多様な効果音も臨場感をもり立てている。また、パンの効果も良かった。パンとは、音を左右どっちのスピーカーからどれだけの強さで出すかと言う効果だ。これをつかうと音に指向性が出る。たとえば車が目の前を左から右に走り抜けていったとき、最初は左から強くその車の音を出し、目の前に来た時点で左右同じくらいの音量にし、画面の右に走り去っていったときに右から音を強く出し、あたかも車が走り去っていったかのような効果を出すことができる。――

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2007年06月20日

BLOOD+に学ぶ、アニメに躍動感を与えるもの(2)

この記事は前記事の続きです。

――さて、内容を見てみてどうだったかという話だが、まずはやはりヴァイオレンスな表現が多いと思った。しょっぱなから血と銃と刀である。きっと自分が数年前テレビで初めてBLOOD+を視聴したときもきっとこのヴァイオレンスさに圧倒されたことだろう。劇中に小夜(とカイ)が通うコザ商業高校の体育教師の人がでてきたが、懐中電灯を使ってあんなことをやるイカした先生が、その(ほんとに)直後に翼手に惨殺されるという展開の激しさは、BLOOD+の持つ迫力というかインパクトをよく表していると思った。そのときは私が体育教師の行動を見ておもしろくて笑ったところで、いきなり翼手にその体育の教師が襲われるので、とてもビックリした。(しかも効果音も激しい。)

(後)アニメに躍動感を与えるもの

さて、後半はこのコラムの本題である「アニメに躍動感を与える要素」について語りたい。ここで触れる大体のことは他のアニメにも当てはまることだが、今回は特にBLOOD+を主軸として考えてみたい。何度も書くが、私はアニメ制作に関しては素人であり、以下の事柄は私がテレビでアニメを見ながら推測したことをまとめたことであり、そのテクニック的なことの一部の真偽は確かでないことをご了承いただきたい。また、私はBLOOD+ファンなので、やはり贔屓もでてしまう。そこもご容赦いただきたい。

まず、「ドキッとするような場面がある」ことについて書こう。BLOOD+は他の作品と比べてためらいなくヴァイオレンスな表現を非常に多く使う。よく世間ではBLOOD+は深夜に放送すべきアニメだと言われる。実際は夕方6時から放送されていたわけだが、よく最後までこの放送枠で放送できたものだと思う。第一話からして過去の小夜の暴走による殺戮、翼手のグロテスクさ、体育教師の死体の表現、銃の連射、などなど、厳しい表現がたくさん出てくる。性的な表現も多少含まれていることも世間が深夜で放送すべきと言う理由になるだろう。第一話からして「ファーストキス」という題名なので、とにかく、ためらいがない。しかしここで問いたいが、果たしてこれらはBLOOD+と言うアニメを悪い方向に持って行く要素なのだろうか? 私は否と思う。ここまで直接的に感性に鋭く訴えかける作品は私は過去に見たことがない。この「ドキッとする」要素は作品の躍動感に大きく寄与している。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。
ラベル:BLOOD+ アニメ
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2007年06月17日

BLOOD+に学ぶ、アニメに躍動感を与えるもの(1)

(前)BLOOD+第一話との久しぶりの再会

先日もブログに載せたことだが、最近私は久しぶりにアニメBLOOD+の第一話を視聴した。どこで視聴したのかというと、『BIGLOBEストリーミング』というBIGLOBEが行っている動画配信サイトでである。ちなみに動画そのものを提供したのはバンダイチャンネルという会社らしい。バンダイの系列(あるいはサービス名)だろうか。わたしはBLOOD+のメディアとしてはBLOOD+ COMPLETE BESTしか持っていなく、BLOOD+のDVDなどは持っていない。ビデオに番組を録り始めたのは番組後半だったので自分にとって第一話は幻の映像だった

この動画配信のニュースを見つけたのはBLOOD+の公式サイトを訪れてだった。久しぶりに予告編ライブラリーでも見ようかと思って訪問したのである。私の愛機はMacなのだが、Macでウインドウズ・メディア形式の動画を見るためのQuickTimeプラグイン「Flip4Mac」でこの予告編ライブラリーを視聴すると、実際のファイル容量以上に動画のストリーミング(と言うかダウンロード)に時間がかかるので、そのときは家のWindows機で巡回していた。そして何となくBLOOD+公式サイトのニュースのページを見てみたら、そこにまさに「ニュース」が載っていたのである。

最初それを見つけたときは、「あー動画配信やってたんだ。もうだいぶ前だな。惜しいなあ、見れれば良かったのに」なんて完全にその配信のニュースが過去のものだと思っていたのだが、再度その配信期間の日付を見てみて、驚いた。今(2007年6月5日現在)配信中である。早速リンクをたどって動画視聴することにした。

おまけの情報も書いておこう。基本的にこのサイト(BIGLOBEストリーミング)の動画はWindows機でInternet Explorerでないと見られない。サイトに書かれていたサイト内の「一般的な」ストリーミングに関する情報によると、Firefoxでは多少難ありで、しかもMacではかなり問題ありとのことだったが、特にBLOOD+など数作品の配信方法ではやはり技術的にWinのIEのみになると言うことのようだ。FirefoxとMacのファンの私としては、将来MacやFirefoxのような環境でも動画を視聴できるような環境・技術が整うことを願いたい。FirefoxでWinIEにユーザー・エージェントを偽装してこのストリーミングのページにアクセスしてみたが、ウィンドウが開くだけで画面内には何も表示されず、やはり視聴することはできなかった。――

この記事にはまだ続きがあります。続きは数日後に載せるつもりです。
posted by whitecaps at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 見たテレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする